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「私のことを覚えていてほしい」黒人差別に屈しなかったアーロンが遺した記録

posted2021/02/01 06:00

 
「私のことを覚えていてほしい」黒人差別に屈しなかったアーロンが遺した記録<Number Web> photograph by Getty Images

1974年11月、日米野球で来日したアーロン(右)と巨人・長嶋茂雄(左)

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四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

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 通算755本塁打の大記録を持つハンク・アーロンが1月22日、86歳で激動の生涯を終えた。

 1974年にベーブ・ルースの714本塁打を更新して以来、バリー・ボンズに抜かれる2007年までの33年間、メジャー最多記録を保持してきたレジェンドの突然の訃報に、米球界関係者だけでなく、歴代の大統領らも悼む声を発表。黒人初の大統領となったバラク・オバマ氏は「過去に出会った中で最も強い人間だった」と、人種差別に屈することなく、最高レベルでプレーを続けたアーロンの精神力を称えた。

 米南部アラバマ州の貧困家庭に生まれたアーロンは、幼少時、野球用具が買えず、手作りのバットなどでストリート野球を始める。

 憧れの選手は、黒人選手初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソン。その後、黒人選手を中心としたニグロリーグでプレーを始めたアーロンは、素質を見込まれ、ボストン・ブレーブス(現アトランタ)と契約し、メジャーの道へ。

 54年のデビュー後は長距離砲として知られる一方、ゴールドグラブ賞3回、通算240盗塁をマークするなど三拍子揃った万能選手として活躍した。

悪質な脅迫と差別行為を受けても

 ルースの記録に迫った当時、黒人による記録樹立に対し、殺害予告や家族の誘拐予告など、悪質な脅迫と差別行為を受け続けた。

 それでも、アーロンはグラウンドに立ち続け、大記録を更新した。その際、「ルースのことを忘れてほしくない。ただ、私のことを覚えていてほしい」とのコメントを残し、差別と闘ってきた思いの一端を明かした。

 優秀な選手としてだけでなく、人格者としても知られた。

 74年の日米野球を機に、王貞治(現ソフトバンク会長)との親交が始まった。77年、王が通算本塁打記録を更新した際には、球場の狭さやレベル差を指摘する声が聞こえる中、王の偉業を祝福。その後は、互いに盟友として世界少年野球推進財団の創設に尽力するなど、野球の普及に貢献した。

 「すごくジェントルマンだったし、メジャーリーグの選手の鑑だった。とにかくすばらしい野球人生だったと思う」

 王が贈った、労うような惜別の言葉に、人種や文化を超えて世界中から愛されたアーロンの魅力と功績が凝縮されていた。

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