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「なんだその髪型は。今すぐ切ってこい!」“番長”三浦大輔DeNA新監督が18歳からリーゼントを死守する理由
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO
posted2021/01/27 17:02
DeNA三浦新監督の就任発表 。背番号は現役時代の「18」から「81」に変更された
96年。18番を背負ったのは、前年途中に加入し47番を付けていた、外国人投手のマイク・バークベックだった。
不満だった。
「横浜ではエース番号じゃないかもしれないけど、18番をもっと大事にしてほしい」
この年は前年を下回る5勝だったが、再び契約更改交渉の場で嘆願した。ここでもまた、「結果を出してから」と説き伏せられた。
「本当に18でいいのか?」から「準永久欠番」になるまで
怯むどころか、ますます燃えた。
「リーゼントを認めさせる」と貪欲に結果を追い求める三浦からすれば、18番を奪い取る――それは、成り上がるために必ず通らなければならない道となった。
そして97年。10勝3敗、セ・リーグ最高勝率の7割6分9厘、防御率3.35と目覚ましい数字を叩き出した三浦は、ようやく18番を付けるにふさわしい投手と認められた。
「横浜のエースナンバーなら17と27も空いているけど、本当に18でいいのか?」
球団からそう問われたが、三浦に迷いはない。ここでも退路を断つように宣言した。
「18がいいんです。必ず横浜のエースナンバーにしますから。そのために頑張ります」
翌98年、初めて背番号18のユニフォーム姿でマウンドに立った三浦は、キャリアハイとなる12勝を挙げ、横浜38年ぶりの日本一に貢献したのである。
通算172勝。プロ2年目の93年から15年まで、23年連続で勝ち星を挙げた。その記録は、プロ野球の歴史でも「200勝投手」の工藤公康と山本昌、三浦の3人だけだ。
現役引退翌年の17年から2年間は評論家としてDeNAから離れたが、その間も背番号18は「準永久欠番」として空き番号となっていた。横浜のエースナンバーに――三浦はまた、公約を果たしたのである。
リーゼントと背番号18。
現役時代、自らの手で掴み取り、横浜に根付かせたふたつの「誇り」。新監督となった今年、ひとつはトレードマークとして貫き、もうひとつを後進へ託そうとしている。
三浦は今、新たなステージで成り上がろうとしている。
見据える未来もまた、絶対不変だ。
優勝あるのみ。
「番長」三浦大輔が高らかに宣言すれば、その野望はきっと成就する。