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「なんだその髪型は。今すぐ切ってこい!」“番長”三浦大輔DeNA新監督が18歳からリーゼントを死守する理由
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKYODO
posted2021/01/27 17:02
DeNA三浦新監督の就任発表 。背番号は現役時代の「18」から「81」に変更された
本格的にチームで番を張ることとなったカリスマは、監督就任会見で今年から身にまとう、青きピンストライプの衣にも袖を通した。
報道陣の前で背中を見せる。
「81」
そう、コーチ時代も含め21年も身に付けた背番号「18」を変えたのである。
会見では「18番はマウンドに立つ選手が付けるもの」と説明していたそうだが、要するに三浦はこう言いたいのだ。
実力で18番を手に入れろ。「三浦の背番号」ではなく、自分の背番号だとファンから認めてもらえるような、ビッグな男になれ――と。
「18番が欲しいです」「結果を残してからな」
それは、三浦自身が実現させたサクセスストーリーでもある。
プロ野球では「エースナンバー」と認識される18番も、DeNAでは前身の大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ時代から、秋山登と斉藤明雄の「17」、遠藤一彦の「24」、平松政次の「27」がエース格の番号とされ、レジェンドたちの意志を受け継ぐことこそが誉れとされていた。
しかし三浦は、背番号「46」でスタートした1年目から「いずれは、俺が18番をつける」と、想いを秘めていたというのだ。
「やっぱり、プロ野球で『エース』と言えば18番ですから。自分が横浜で、この番号の価値を高めたいってずっと思っていたんです」
三浦が入団当時、18番を付けていたのは岡本透だった。95年、その岡本のトレード相手であり、背番号も譲り受けた松浦宏明が同年限りで退団すると、三浦は契約更改交渉の席で「18番が欲しいです」と直訴した。成績は自己最多の8勝。しかし、球団からは「結果を残してからな」と一蹴された。