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【誕生日】中田英寿44歳は未だ“唯一無二” 99年韓国戦の圧勝、01年フランス戦の大敗を再検証する
posted2021/01/22 11:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Naoya Sanuki
1977年1月22日は、日本サッカー界にとって特別な一日と言っていい。日本代表がアジアで苦戦を強いられ、Jリーグ開幕など想像もつかなかったその日は、のちに日本サッカーのプレゼンスを高めていくプレーヤーの誕生日だからである。
中田英寿だ。
彼のキャリアを振り返れば、それこそ超大作が出来上がる。触れるべき大会や試合、あるいはトピックスは数多いが、「対アジア」と「対世界」の観点から2つの試合を取り上げたい。
黄金世代のU-22代表として
「対アジア」では、99年9月7日のU-22韓国代表戦をあげたい。シドニー五輪アジア最終予選の壮行試合として、フィリップ・トルシエ率いるU-22日本代表が韓国をホームに迎えた一戦である。
中田と同学年の宮本恒靖がキャプテンの腕章を巻くチームには、プロ3年目で横浜F・マリノスの背番号10を背負う中村俊輔、99年春のワールドユース選手権で準優勝した稲本潤一、遠藤保仁、中田浩二らの黄金世代が顔を揃えていた。柳沢敦、小野伸二、高原直泰らは招集されていないが、数カ月後には日本代表でもプレーする選手がズラリと並んでいる。
対戦相手の韓国にも、将来有望な選手を見つけることができた。
2002年の日韓W杯で代表入りするMFキム・ナミル、FWソル・ギヒョン、98年のフランスW杯に19歳で出場したFWイ・ドングクらが先発している。日韓W杯後にヨーロッパで成功を収めるパク・チソンも、チーム最年少で左サイドバックを務めていた。
日韓両国の未来を担うタレントが集った一戦で、98年夏からイタリア・セリエAのペルージャに在籍する中田は、ファーストプレーで格の違いを見せつける。前半開始5分、中盤からドリブルで持ち出すと、2人の守備者に挟み込まれ、身体を引っ張られながらも力強く突き進んでいった。
韓国監督も思わず「分かっていたのに……」
当時も現在も、フィジカルは韓国の強みである。それまで日本人選手を苦しめてきた激しいコンタクトプレーを、中田はまったく苦にしなかった。子ども扱いした、と言っていいほどである。