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【前田遼一引退】“谷間の世代”と呼ばれて…あえて「暁星→ジュビロ」を選んだ“不器用な男”の21年間
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byToshiya Kondo
posted2021/01/16 11:02
14日、現役引退を発表した前田遼一
「前田はFWじゃない」と山本昌邦監督は語り、メンバー選考の最後の試合ではボランチで起用、結果、アテネ五輪代表に選出しなかった。ストライカーには「俺が」というエゴや強引さも必要だと言われるが、常にそれを否定する前田は、指揮官が考えるFW像とは違っていた。
「強引さが足りないと言われることは多いけれど、チームよりも先に『自分』が来て、『俺が中心だ』というふうになるとむしろダメになる。そんなことが出来るのは、本当のスーパースターだけ」と、のちに34歳になった前田は話していた。
自分に厳しい前田だが、チームメイトには優しい。2009年、2010年の2シーズン連続で得点王に輝いた年で、すでに磐田のエースストライカーとして、日本代表の常連にもなっていた時のこと。
世代交代を経た磐田はなかなか思うような結果を生み出せず、両シーズンともに11位と低迷。若い選手たちのなかで、コンビネーションが悪く、前田が活きない試合も少なくなかった(それでも得点を重ねたことは評価に値する)。しかし、そんな試合のあと前田はいつもこう言った。
「まあ、そこがサッカーの楽しいところだと思うから」
前田はいつも考えていたのだ。「サッカーはひとりではできない。だから面白い」と。
「FWは周りに使われて、初めてゴールができる。パスが来なければ、シュートも打てないから。得点王を獲ったときもチームのなかでいかに動けるかを一番意識していた。良いクロスを入れてくれる選手がいて、僕自身も上手く動けたから、シュートチャンスが生まれただけのことなんです」
「サッカーはひとりじゃできない」
“選手はチームの歯車であれ”
これは黄金時代の、かつての磐田の選手なら誰もが口にした言葉だ。誰もがチームのために戦わなければならない。そして、チームを構成する選手全員が共通意識を持つからこそ、歯車は回る。それを構築するには時間もかかる。だから、前田はオファーが届いても環境が変わることを懸念して、磐田に残留したのだろう。それでも「J1へ移籍できる最後のチャンス」と腹をくくり、2015年FC東京へ移籍を果たす。