熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
100年以上続く日本人との縁… なぜフットボール王国ブラジルが大リーガー&NPB選手を輩出できるのか
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/01/17 06:01
2013年WBC、日本と対戦したブラジル代表の松元ユウイチ。彼らのようなブラジル出身選手が日米の野球界に存在する
ブラジルは世界でも有数のフットボール王国で、昔も今も、男の子が憧れるのはフットボールのスター選手だ。そのような国で、なぜ日本人、日系人の多くが子弟にフットボールではなく野球をやらせたのか。
当時の考え方、道徳観から考えて
ブラジル野球ソフトボール連盟副会長のエステバン・テンイチロウ・サトウ(日系2世)は「フットボールでは相手選手、さらには審判まで騙すことがあり、日本の考え方や道徳観にそぐわないところがあった。日本人、日系人の親は息子が日系の監督、コーチから指導を受け、日系の子供たちと一緒にプレーする野球の方が安心だった」と当時の背景を説明する。
第二次世界大戦中、日本人が3人以上集まるのは禁止
ところが、やがて第二次世界大戦が勃発する。ブラジルは連合国側に加わり、日本は敵国となった。ブラジル政府は日本人が3人以上集まることを禁止し、野球はできなくなった。
戦争が終結してようやく禁が解け、1946年、日系人がサンパウロ州野球連盟を設立。全国大会も再開された。1958年にはサンパウロに市営球場が建設され、早稲田大学野球部が招待されて地元のチームと対戦した。その8年後には、日本のプロ球団として初めて東映フライヤーズがブラジルを訪れ、MLB選抜、パナマ選抜と対戦した(詳細は第1回で説明したとおりだ)。
2000年にはヤクルトが全寮制アカデミーを
そして1990年にはブラジル野球ソフトボール連盟(ジョルジ・オオツカ会長)が設立され、少年から老年まで年齢別の全国大会を主催する。
また、2000年にブラジル・ヤクルトがサンパウロ近郊に野球アカデミー(佐藤允禧校長)を設立。国内の選りすぐりの若手を全寮制で鍛え、日米の野球界へ送り出している。アメリカならMLB、マイナーリーグ、大学など、日本ならプロ、社会人、大学、高校などである。
このような土台があって、1979年末、初のプロ選手が生まれた。生まれは日本だが1歳で両親と共にボリビア経由でブラジルへ渡った佐藤滋孝外野手(前述の佐藤允禧の弟)が阪急ブレーブスに入団したのである。パワーヒッターで、1980年から1981年まで在籍した。