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【追悼】「野茂は年の離れた息子」日本でも愛されたラソーダ、ドジャース優勝“32年前の衝撃起用”とは?
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/01/09 17:02
2017年のWBCにて再会した野茂英雄氏(左)と、トミー・ラソーダ氏(右)
「私だって相手投手や打者とのマッチアップを見て選手起用の参考にしているが、監督たるもの、時には選手の目を見たり、所作を見て起用を決めなくちゃならない時がある。
それが裏目に出たら、アンタたちメディアから『どうして彼をマウンドから降ろしたんだ?』、『どうして彼に代打を送ったんだ?』と総攻撃される。だが、そんなものが怖くて監督なんかできるもんか。私は選手たちを信じているし、彼らの闘志を信じている。
アンタたちは私の起用が成功したら『勇気ある決断』なんて言ってくれるけど、私にとってはそれも監督の仕事の一つに過ぎない」
伝説の“1988年ワールドシリーズ優勝”
もっとも有名な「勇気ある決断」は、ドジャースが昨シーズン、ワールドシリーズに優勝するまで長らく最後の優勝だった1988年。ア・リーグ王者アスレチックスとのワールドシリーズ第1戦における、カーク・ギブソンの代打逆転サヨナラ本塁打だろう。
当時のアスレチックスは黄金時代を迎えており、まだ東西2地区制だった頃の西地区で同年のメジャー最高の104勝58敗(勝率.642)を記録し、ア・リーグ優勝決定シリーズでは4戦全勝でレッドソックスを一蹴。ドジャースとのワールドシリーズでも「楽勝だろう」と予想されていた。
実はこのシリーズ、私はどちらかと言えばアスレチックスを応援していた。まだ日本でMLB中継が普通にテレビ観戦できるような時代ではなかったが、風の噂で「アスレチックスに史上初のフォーティー・フォーティー(=40本塁打40盗塁)以上を達成した、凄い選手がいる」と聞いていた。それがずっと後、米野球界におけるパフォーマンス向上薬品の蔓延を暴露した1986年のア・リーグ新人王にして1988年の最優秀選手、ホゼ・カンセコだった。
アスレチックスは彼に続いてマーク・マグワイア(1987年)、ウォルト・ウェイス(1988年)と3年連続の新人王を輩出。他にもデイブ・パーカーやカーニー・ランスフォードらの強打者に、投手陣も4年連続20勝する絶対的エースの先発デイブ・スチュワートや、1990年にシーズン27勝を挙げることになる好投手ボブ・ウェルチなど、顔触れが揃っていたのだ。
序盤から中盤に強力打線が爆発して逃げ切り体制を作ると、トニー・ラルーサ監督(現ホワイトソックス監督)が後にドジャース投手コーチとして黒田博樹、前田健太両投手も指導した中継ぎのリック・ハニカットから、通算390セーブを記録して殿堂入りする絶対守護神のクローザー、デニス・エカーズリーに継投するのが、典型的な“勝ちパターン”だった。