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【追悼】「野茂は年の離れた息子」日本でも愛されたラソーダ、ドジャース優勝“32年前の衝撃起用”とは?
posted2021/01/09 17:02
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
Naoya Sanuki
とうとう、その日がやって来たか、という思いだ。
現地1月7日木曜日、米野球殿堂入り最年長のトミー・ラソーダ氏が亡くなった。93歳だった。
ラソーダ氏は現役時代、当時ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていたドジャースで、救援左腕としてメジャーリーグ(MLB)で通算26試合(6先発)に登板して0勝4敗1セーブ、防御率6.48という成績を残した。引退後はスカウトからマイナーリーグ監督、そして1976年の9月、前任のウォルター・オルストン監督(この方もやはり、殿堂入りしている)が引退したため、その後継者としてドジャースの三塁ベースコーチから監督に就任した。
監督としてはMLB通算22年(実質21年)で3040試合1599勝1439敗、2引き分け(勝率.526)、ナ・リーグ優勝4度、ワールドシリーズ優勝2度(1981年と1989年)という輝かしい経歴を持っている。さらに、歯に衣着せぬ性格もスター監督として広く人気を得た理由だろう。球団フロントの名誉職時代も含めればドジャースひと筋71年の人生でありながら、2000年のシドニー五輪では米国代表を率いて当時最強のキューバを破り、金メダルを獲得するなど、まさに米球界屈指の名監督だったと思う。
「長嶋茂雄と星野仙一は私の兄弟で……」
日本の古いMLBファンにとっても、忘れようがない人だ。
1988年に、ワールドシリーズ王者の監督として来日しているが、その名が日本球界で広く知れ渡ったのは、野茂英雄氏が「メジャー挑戦」を始めた1995年のことで、彼がドジャースの監督をしていたからではないかと思う(1996年を最後に退陣している)。当時、野茂氏に「俺にはドジャー・ブルーの血が流れている」と英語で教えた映像は、米国でもかなり有名だ。
ラソーダ氏の知名度はMLBファンや野球ファン以外の人々の間でも急上昇し、ついには日本のテレビCMにも出演。「長嶋茂雄と星野仙一は私の兄弟であり、野茂英雄は私にとって、年の離れた息子なんだ」と話すなど、親日家としても知られるようになり、2008年にはその功績から、旭日小綬章が送られている。
「そんなものが怖くて監督なんかできるもんか」
監督としては、ガチガチのオールド・スクールである。
ボストンやシカゴを拠点にした関係で彼を取材する機会はあまり多くなかったが、統計分析やテクノロジーが重宝されている時代になった当時、囲み会見の彼の口から聞いた「Guts Decision(勇気ある決断)」という言葉は、とても心に残っている。