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【箱根駅伝】「“害人”を走らせるな!」議論を呼んだ留学生 1989年山梨学大のオツオリが示した世界基準
posted2021/01/01 11:03
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Kyodo News
箱根駅伝が目前に迫った今、かつての名勝負を振り返ります。今回は1989年山梨学院大学。
初出:Sports Graphic Number PLUS 2014 「箱根駅伝 名勝負をもういちど。」(肩書などすべて当時)
初出:Sports Graphic Number PLUS 2014 「箱根駅伝 名勝負をもういちど。」(肩書などすべて当時)
その名をジョセフ・オツオリという。箱根路を初めて走つたケニア人留学生は、身長168cm、体重55kgと小柄な体型ながら、抜群の走力を誇つていた。
ルーキーイヤーの'89年、各校のエースがそろう花の2区に登場すると、7人抜きの快走でいきなりの区間賞を獲得。区間2位の選手に1分40秒もの大差をつけ、出場3度目の山梨学大を初のシード権獲得に導く原動力となつた。
あまりの強さゆえだろう。留学生を走らせるのは是か非か――その起用をめぐってしばしば議論が起きた。
オツオリをスカウトした上田誠仁監督は、当時をこのように振り返る。
「“害人”を走らせるなと、外ではなく害の字を当てて、抗議の手紙が来たこともあります。でも、当のオツオリが『先生、そんなこん気にしちょ』って、上手な甲州弁で励ましてくれたんです。誰よりも早く練習場に現れ、マジメに努力した。規範となった生徒でしたね、彼は」
オツオリは4年連続で2区を走り、3度の区間賞を獲得するなどチームに貢献。4年時にはついに初優勝を飾り、栄冠の喜びを分かち合っている。初優勝はしかし、チームメイトの奮起なくしてはあり得なかった。留学生は今や、世界基準を知る上で矢かせない、箱根駅伝を走る日本人ランナーの良きライバルでもある。
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