ニッポン野球音頭BACK NUMBER
人的補償で移籍、命に関わる大病…ベイスターズ・藤岡好明が引退「超満員のスタジアムで投げて終わりたかった」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/09 11:06
ホークス、ファイターズ、ベイスターズでの15年間で337試合に登板した藤岡
ヤフオクドームでの登板は「やっぱり特別だった」
その16試合目が、6月15日、ヤフオクドームでのホークス戦だった。
2013年に体調不良でチームを離脱して以来6年間、ずっと機会に恵まれなかった。福岡から北海道、パ・リーグからセ・リーグへの移籍を経て、ようやく戻ってこられたマウンド。6回2アウト二塁のピンチ。打席に松田宣浩が入るところだった。
藤岡は感慨深げに言う。
「個人的な感情を入れるなら、やっぱり特別だった。ぼくのことを覚えてくれている人は少ないでしょうけど、(ホークスの)みんなに会えたのも久々でしたし、しかも対戦したのが同期の松田さんで不思議な縁を感じました。こういうこと、よくあるんですよ。『野球の神様がいるんかなあ』って思っちゃうような偶然が」
無失点登板を継続中の6月に話を聞いた。そのころの藤岡は、明らかに選手生命の終わりを意識していた。
「がんばっているというより、がんばらせてもらっている」
「若い人が聞いてきたら何でも全部教える。そうやって協力することが、ぼくが後輩たちのために最後にできること」
好投を続けている要因に関しても「コーチに教えてもらったことをそのままやっているだけ。ぼくががんばっているというより、がんばらせてもらっている」。すすんで道の端を歩くかのような、消極的なスタンスにも受け取れた。
だから、2020年のはじめに設けられた短いインタビューでの発言に驚かされた。2019年を、32試合登板、防御率1.86で乗り切った藤岡は、控えめな物腰はそのままに、しかし道の真ん中を歩き出そうとしていた。
登板数が増えたことは仕事を着実に果たした証であり、ポジティブに受け止めていい。ただ、いわゆる敗戦処理が多かった。勝負を分ける場面でマウンドを託されたこともあったが、打者を抑えられず、また元の役回りに戻る。2019年は、そんなシーズンだった。
芽生えたのは2つの思いだ。まず、「『まだできる』という自分を探せ当てた」。もっと勝ちゲームで投げられるようになるには何が必要なのか。自分に足りないものとは何だったのか。考え、たどり着く。「自信がないと、乗り越えられない」。
そのとき藤岡は言った。