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人的補償で移籍、命に関わる大病…ベイスターズ・藤岡好明が引退「超満員のスタジアムで投げて終わりたかった」
posted2020/12/09 11:06
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
SANKEI SHINBUN
11月28日、藤岡好明の引退が発表された。
ホークス、ファイターズ、ベイスターズの3球団を渡り歩き、主にリリーフを務めた。サイドスローに近いフォームで右腕をしならせ、15年間で337試合に登板した。キャリアもキャラクターも華々しくはなかったが、いつも微笑んでいるかのような目元が印象的な選手だった。
藤岡のことを想うとき、かつて目にした、あるコラムが脳裏に甦る。
その書き手は2017年5月、ベイスターズ移籍後はじめての勝利を手にした2日後にファーム降格となった藤岡の心境に思いを馳せていた。そして、ベイスターズをよく知る友人が発したという「藤岡なら、きっと顔色一つ変えずに、横須賀に行っただろうよ」「あれは地獄を知ってる人間の笑顔だ」との言葉を引く。
苦笑しながら、回答を拒むことがあった
そんな記述をよく覚えているのは、筆者が偶然にも実際の様子を見ていたからだ。登録抹消前日の5月24日、ドラゴンズ戦終了後。横浜スタジアムの駐車場に、普段より大きな荷物を持って藤岡は現れた。去り際に誰かと会話を交わした名残だったろうか、ほのかな笑みを浮かべながら――。
その後、何度か取材の機会があった。大病の経験などに話は及び、苦しみを味わった過去が明かされた。ただ、藤岡はすべての問いに答えたわけではなかった。「現役中なんでね」。申し訳なさそうに苦笑しながら、回答を拒むことがあった。
プロ野球選手の看板を下ろしたいま、答えを得られなかった問いに答えてくれるかもしれない。笑顔の裏に隠された本当の思いに迫れるかもしれない。
引退発表直後に申し込んだインタビューに、藤岡はすぐに応じてくれた。
宮崎日大高からJR九州を経て、2006年、ホークスに入団した。ルーキーながら62試合に登板し、5勝3敗1セーブ26ホールドの堂々たる成績を残す。
以後、浮き沈みしながらも、しぶとくキャリアを重ねていく。5年目を終えた段階で30試合以上に登板したシーズンが4度あった。先発やビハインドシチュエーションを担う中継ぎなど、役割は時とともに変化したが、ともあれ一軍のマウンドに必要とされる選手だった。