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人的補償で移籍、命に関わる大病…ベイスターズ・藤岡好明が引退「超満員のスタジアムで投げて終わりたかった」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/09 11:06
ホークス、ファイターズ、ベイスターズでの15年間で337試合に登板した藤岡
ポイントを外す投球術へのシフト
ところが、6年目の2011年、一軍での登板がわずか5試合に終わる。追い打ちをかけるように2012年の春季キャンプで肩を痛めた。藤岡に大きな変化を迫るケガだった。
「その前は、気持ちが入ったボール、強いボールを投げたい、そうすればバッターを抑える確率が上がるという自分本位の考え方でした。でも、それが力みにつながってケガをするという悪い循環になっていた。力んでダメなら、その逆をやるというか。キャッチボールのような軽い感じで投げることにトライして。それが新しい発見となって、ボールを操りながらバッターをどう抑えていくかという考え方にだんだん変わっていきました」
打者を観察し、ポイントを外す投球術へのシフトは功を奏す。2012年は、6月に復帰して以降39試合に登板し、防御率1.19。翌2013年も6月下旬の段階ですでに32試合に登板、防御率2点台とフル回転していた。
体調不良に見舞われたのは、そんな時期だった。
「命に関わる可能性」を指摘された
肝機能障害の診断を受け、藤岡は入院生活に入る。過去の記事には「命に関わる可能性」を指摘されたとの記述が残る。脂の乗った28歳のプロ野球選手は一転して、ひとりの若者として自らの命と向き合うことになった。
以前、当時の心境について語ってくれた。
「いちばん人生を考えた時かなっていう瞬間でした。野球以外のことをすごい考えさせられた」
「野球以上に、友だちや親のこと、兄弟のことだったりが真っ先に頭に浮かんだ。たくさんの友だちと遊んだり、普通に生活したり、そういう状況がなくなるって考えたときの怖さは、いまでも覚えている」
数カ月にわたる療養を経て、幸いにも病を克服することができた。翌2014年のシーズンに復帰すべく、プロ野球選手としての再スタートを切ろうとしていたオフ――藤岡は、8年間在籍したホークスを離れることになる。
鶴岡慎也のFA移籍に伴う人的補償措置だった。