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人的補償で移籍、命に関わる大病…ベイスターズ・藤岡好明が引退「超満員のスタジアムで投げて終わりたかった」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/09 11:06
ホークス、ファイターズ、ベイスターズでの15年間で337試合に登板した藤岡
人的補償は「最初はちょっと受け入れがたかった」
かつては口をつぐんだこの移籍に関する質問に、藤岡は言葉を選びながら答えた。
「正直……移籍はびっくりというか。頭になかったことなので。最初はちょっと受け入れがたかった」
福岡のドームで再び投げる姿を見せることが、心配してくれたファンへの恩返しだと思っていた。それが復帰への大きなモチベーションだった。その道が突如として閉ざされ、気持ちの整理がつかないのも無理はなかった。
前を向かせたのは、移籍先のファイターズが「藤岡を選んだ」という一点の事実だ。面会した監督の栗山英樹にも、必要としているからこその獲得だと言われて氷が解けた。「必要とされる選手でありたい」。そう唱え続けてきた自身の信念にかなうものだと捉えられるようになったとき、藤岡は北海道で新たな一歩を踏み出す決心がついた。
金銭トレードでベイスターズに移籍
しかし、回復後の肉体で新たに求めた投球スタイルをものにできなかった。移籍後の2シーズンで登板したのは15試合。期待して選んでくれたのに力になれず、「すごく申し訳ない気持ちがある」と藤岡は振り返る。
移籍3年目の2016年、またしても転機は前触れなく訪れた。開幕直後の3月30日、金銭トレードでベイスターズに移籍することになったのだ。
もちろん驚きはあったが、1度目とは異なる感情が芽生えた。
「うれしかった……というと語弊があるかもしれないけど、またチャレンジさせてくれるんだな、そういう場を与えてくれるんだなって、ファイターズに対して思いました。栗山さんの『藤岡のためにどっちがいいかを考えた』というコメントを見たときも、ありがたいなと。前向きに捉えられました」
移籍直後の4月に登板を重ねたが、肩の故障のため一軍を離れた。新天地で鮮やかに復活とはいかず、2017、2018年と、輝きを放てた時間は限定的だった。
長らくの低空飛行から上昇に転じたのが2019年だ。4月に一軍に昇格してから16試合連続で無失点の登板を重ねた。