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ヒルマン「なぜ山井を代えるんだ…?」 13年前、あの“消えた完全試合”を敗者・日ハムはどう見ていた?
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/07 17:01
04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした
その瞬間から、白井はたとえぶつかり合ってでも、日本野球とヒルマンとを繋ぐ架け橋になろうと決めた。
出塁率を重視するヒルマンは当初、「待球主義」を掲げたが、白井はただでさえ待球の教えを受けている日本人選手が消極に陥ってしまう危険性があると感じた。
《監督にはそう伝えて、狙い球を絞って打ちにいく、打てない球は積極的に見逃す。追い込まれたらファウルを打って相手のスタミナを奪うという、我々独自の2ストライクアプローチを徹底してきました》
そうやって打率は低くても好機を確実にものにできる打線をつくってきた。中盤まで抑えられても最後には何とかしてしまう。その強さは、日米の価値観の違いを受け入れ、乗り越えてきた葛藤の証でもあった。
「山井がそのまま投げるかもしれません。でも……」
そのヒルマンでさえ、完全試合を継続している投手を代えるという想像はしていない。おそらく世界中、どこの野球事典にもそんな戦術は載っていないはずだ。
ただ、白井の頭からはどうしても岩瀬が消えなかった。そして、その奥には、かつて胸に刻まれた落合の残像が浮かんでいた。
1980年代後半、日本ハムの二塁手だった白井は、ロッテの落合が打席に入ると、いつも身を硬くしなければならなかった。
《内野手は、打者が出すバットの角度によって、打球方向を予測して右か左かスタートを切る。でも、落合さんはバットとボールの軌道が最後まで重なって、どっちに飛んでくるのかぎりぎりまで読めない。だから落合さんの打球は抜けていくんです》
相手に胸の内を読ませず、ヒットを重ね、狙ったタイトルを確実に手中にしていく。白井の眼に焼き付いた落合のイメージが、日本シリーズの決着と完全試合を目前にした土壇場で甦っていたのだ。
監督を5年務めたヒルマンは、このシリーズを最後に退団することを決めていた。白井もまたチームを去る決意を固めていた。最後に悔いは残したくない……。白井は覚悟を決めてヒルマンに進言した。
「山井がそのまま投げるかもしれません。でも、岩瀬への準備だけはしておいた方がいいです。(右の代打)高橋(信二)と田中(幸雄)までは用意しておきましょう」
(【続き】山井→岩瀬、あの“消えた完全試合”の夜 日ハム側の証言「完敗したのに、なぜかどんちゃん騒ぎだった」 を読む)