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ヒルマン「なぜ山井を代えるんだ…?」 13年前、あの“消えた完全試合”を敗者・日ハムはどう見ていた?
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/07 17:01
04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした
バントを用いない戦術にも異を唱えた。
自身が先発メンバーから外された時期には、勢い込んで監督室のドアを開けた。
「なんで俺を使わないんですか?」
日本球界では造反と受け止められかねない。ただ、テキサス出身の敬虔なクリスチャンは、金子の意見を穏やかに受け止めた。
《僕は喧嘩腰で話したんですけど、まるで牧師様のように話を聞いてくれました》
就任以来、5位、3位、5位と試行錯誤した末、投手力が整備されてきた2005年のオフ、ヒルマンは金子に言った。
「これからバントを取り入れようと思う」
《監督に、ありがとうって言いました。アメリカから日本に来て、この人は変われる人なんだ。それは凄いことだなと》
「やっぱり、落合さんでしたから……」
そうやって野球とベースボールを融合させ、日米の野球観を掛け合わせてきたチームは、2006年に球団44年ぶりの日本一となり、この2007年には球団初のリーグ連覇を果たした。だからこそ金子は、最終回には突破口が見えるはずだと信じることができた。
《9回は山井投手に対しての3打席目になりますから、ボールの軌道はわかっていました。肩口から入ってくるスライダーを左中間へ打つイメージもできていたんです》
時限装置は静かにその刻に近づいていた。
日本ハムは8回裏も守り抜き、1点差のまま、最後の攻撃が始まろうとしていた。9回の先頭バッターである金子は、バッティンググローブをはめ、山井を待った。
だが、中日の野手が守備位置についても、山井はなかなか出てこない。その空白の一瞬、ふと金子の頭によぎったことがあった。