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ハンセンの引き抜き、ブロディのボイコット、長州力の乱入…仁義なき「師走のタッグリーグ」事件簿
posted2020/12/05 17:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
新日本プロレスの『WORLD TAG LEAGUE』と全日本プロレスの『世界最強タッグ決定リーグ戦』。老舗両団体、年末恒例のタッグリーグ戦が今年もいよいよ佳境を迎えている。
全日本『最強タッグ』は12月7日の後楽園ホール、新日本の『WORLD TAG』は12月11日の日本武道館が最終戦。タッグリーグが終わると、プロレスファンは、いよいよ暮れも押し迫ってきたことを感じる季節の風物詩だ。
日本におけるタッグリーグ戦の歴史は古く、始まったのは新日本、全日本が旗揚げされるよりさらに前。アントニオ猪木、ジャイアント馬場の両巨頭が所属した日本プロレスの1970年に開催された『NWAタッグ・リーグ戦』がそのルーツとされる。
『NWAタッグ』は70年から3年連続で開催されたが、メインイベンターと若手や中堅のコンビなど、即席チームが多かったことなどから優勝争いが盛り上がらず、興行的には不入り。ここから「タッグリーグは当たらない」というジンクスが生まれ、72年に新日本と全日本が旗揚げしてからも、タッグリーグはしばらく行われなかった。そんなジンクスを破ったのが、78年の年末に全日本で開催された『世界最強タッグ決定リーグ戦』だ。
ファンクスvsブッチャー&シークにファンが熱狂
全日本はこの前年、77年の年末に本場アメリカのトップレスラーを多数参加させたリーグ戦『世界オープンタッグ選手権』を成功させており、翌年末に満を持して『世界最強タッグ決定リーグ戦』開催に踏み切ったのだ。
かつて即席チーム揃いで失敗した『NWAタッグ』の教訓を生かし、『最強タッグ』はジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビをはじめ、ドリー ・ファンクJr.&テリー・ファンクのザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの最凶悪コンビ、ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマンの欧州最強コンビ、ラッシャー木村&グレート草津の国際プロレス最強コンビ、大木金太郎&キム・ドクの韓国師弟コンビなど、豪華メンバーをズラリと揃えてファンの関心を引くことに成功した。
そして最終戦となった12月15日蔵前国技館でのファンクスvsブッチャー&シークでは、テリーがブッチャーのフォーク攻撃によって右腕を流血させられながらも、不屈の闘志と兄弟愛で勝負を諦めず反撃に転じた姿にファンが熱狂。優勝をはたしたザ・ファンクスの人気が爆発するとともに、『オープンタッグ』は興行的にも大成功を収め、翌年から名称を『世界最強タッグ決定リーグ戦』と改めて、現在まで40年以上続く、全日本の看板シリーズとなったのだ。