ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER

ハンセンの引き抜き、ブロディのボイコット、長州力の乱入…仁義なき「師走のタッグリーグ」事件簿 

text by

堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

PROFILE

photograph byAFLO

posted2020/12/05 17:01

ハンセンの引き抜き、ブロディのボイコット、長州力の乱入…仁義なき「師走のタッグリーグ」事件簿<Number Web> photograph by AFLO

MSGタッグリーグ戦を優勝したアントニオ猪木(左)、ハルク・ホーガン

“義兄弟コンビ”馬場&木村の仲間割れ

 84年の『最強タッグ』は、この他にもサプライズが続出。総帥・馬場のパートナーは「ミステリアスパートナー」として伏せられたことで、「アンドレ・ザ・ジャイアントか、元WWF(WWE)王者のボブ・バックランドではないか」など憶測が飛び交い、開幕戦までファンの関心を呼ぶことに成功。結局、その“正体”は、第1次UWFを離脱したばかりのラッシャー木村であり、馬場&木村というのちの“義兄弟コンビ”がここで初めて結成されている。

 しかし馬場&木村は、12.8名古屋大会で仲間割れ。木村は、乱入してきた剛竜馬、さらに鶴見五郎、菅原伸義、高杉正彦らと国際血盟軍結成を宣言し、馬場に反旗を翻した。さらに同大会のメインイベント終了後には、視察に来ていた長州力らジャパンプロレス勢もリングイン。波乱続きの84年『最強タッグ』は、来るべき翌85年の全日本、ジャパン、国際の3軍抗争の予告編にもなっていたのだ。

新日本は“負の事件”が続き、優勝争いが危うく

 一方で、新日本では“負の事件”が続いた。85年、名称を改めた『IWGPタッグリーグ戦』の優勝決定戦当日、リーグ戦でトップを走っていたブロディ&スヌーカが決勝戦をボイコットするという緊急事態が起きてしまう。

 これで急遽、同率2位につけていた猪木&坂口征二と藤波辰巳&木村健吾のあいだで決勝戦が行われることとなり、最後は藤波がドラゴンスープレックスで初めて師匠・猪木からフォールを奪い優勝を飾るという感動的な結末となり、結果的に「災い転じて福となす」となった。

 しかし、翌86年の『ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦』では、新日本と和解したはずのブロディが、今度は開幕直前に来日を一方的にキャンセル。これによって優勝候補のブロディ&スヌーカが不参加となっただけでなく、シリーズ中にスペシャルマッチとして組まれていたブロディvs前田日明、ブロディvs.アンドレ・ザ・ジャイアントという夢のカードも幻に終わり、ファンを落胆させる結果となってしまった。

 続く翌87年の第2回『ジャパンカップ』では、シリーズ途中の11.19後楽園ホール大会で、前田日明による長州力顔面蹴撃事件が勃発。この背後からの不意打ちで長州は右前頭洞底骨折の重傷を負い、以後シリーズを欠場。前田には出場停止処分が下されたため、前田&スーパー・ストロング・マシンは以降の公式戦が不戦敗となり、マサ斎藤&長州力も、リーグ戦の途中でマサ斎藤&藤原喜明に変更されるなど、もはや優勝争いの体を為さなくなってしまった。

【次ページ】 試合とリーグ戦の優勝争いを楽しめる現在も

BACK 1 2 3 4 NEXT
アントニオ猪木
ジャイアント馬場
ラッシャー木村
剛竜馬
鶴見五郎
菅原伸義
高杉正彦
新日本プロレス
全日本プロレス

プロレスの前後の記事

ページトップ