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「メッシよりケビン」って? ラトビアで指導者を目指す中野遼太郎の波乱の1年
text by
中野遼太郎Ryotaro Nakano
photograph byRyotaro Nakano
posted2020/11/20 17:00
指導者のキャリアを歩み始めた中野遼太郎氏。コロナ、監督解任、2ndチームの監督就任と慌ただしいシーズンを過ごした
「オープンな議論」は不必要?
選手たちは僕の選手時代を知ってくれているので、「指導に聞く耳を持ってくれる」ことと、「自分がやってみせられる」ことが、現段階で僕が唯一所持している武器です。しかしこれらはやがて消えていくものであり、消えていく前に新しい武器に変えなければいけません。日々体重は増えていき、身体のキレは彼方へ飛んでいきます。時間はありません。
その意味で監督は、流動的な思考態度と、不可侵の領域を持つことのバランスが巧みでした。高圧的でトップダウンな指導や構造が問題にされることは多いですが、僕としては反対に「オープンに議論しない」ということが大切な場面もあると思うようになりました。
指導哲学があれば、一切の照れや不安を伴わず、堂々と言い切って徹底してもらうことで、他者の理解が進むこともあるのではないでしょうか。それがこちらの考えや意見と整合しているかは問題ではなく、舵取り役が議論の余地がない場所を持つことで、グループの視線が一気に揃うような感覚を覚えました。
そうして、ようやく車輪への足の掛け方が分かってきたところで、コロナ禍が本格化しました。漕ぎ始めようとしたら、自転車ごと取り上げられたような感覚です。ラトビアが緊急事態宣言を出したのは、リーグ開幕戦の前々日というタイミングで、準備とモチベーションが最高潮に達しようとしたところで、全てが一度ストップしてしまいました。
プレシーズンと戦績・内容の相関に非常に興味があったので、そのまま開幕を迎えられなかったのは残念でしたが、「サッカーそのもの」の存在意義や、無観客試合の意味などを考える契機にもなったので、長い目で見たら実りある時間になったと思います。体重的にも実りある時間になりました。圧倒的に。
開幕15試合ほどで監督が解任
ラトビアは人口の少なさと政策が功を奏して、感染者数を抑えることに成功していたので、リーグは約3カ月の空白を経て、今年6月に無事に開幕を迎えました。しかし、そこから一切の結果が出せずに、15試合ほどで監督は解任されてしまいました。
サッカーは本当に難しい。
選手時代は、「試合に影響を与えること」はとても直接的で、ある意味で簡単なことでした。ピッチでプレーをする限り、良くも悪くも影響を与えないことのほうが不可能で、1秒1秒の判断、技術が、確実に試合を方向づけていきます。
しかしコーチングスタッフは、試合中に「ボールに一切触れることなく」影響を与えなければいけません。選手とは全く別の、高度な専門性を求められる仕事だと痛感しました。
ましてや監督ではなくアシスタントコーチ、しかもその下っ端ということで、無力感に苛まれることもたくさんありました。
引退して1年も経っておらず、選手気分が抜けきれていないことも一因だったと思いますが、この「ボールに触れずに出来ること」を見つけていくこと(つまりお前はもう選手じゃないと本当の意味で受け入れていくこと)も課題でした。半ば意図的に「勝敗は細部に宿る」と信じて、普段のトレーニングと準備に尽くすようになりました。試合の日に出来ることなど(いまの自分の能力では)限られているからです。