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「あの年のカープ木村拓也は“リストラ部屋”を志願する気持ちだった?」広島→巨人トレードのウラ側
posted2020/11/14 17:03
text by
清武英利Hidetoshi Kiyotake
photograph by
KYODO
「リストラ部屋」を自ら志願したソニーの課長
日本の家電業界が熱に浮かされたようにリストラを繰り返した時期があった。日本を代表する企業に、「キャリア開発」を名目にした特別な部屋が設けられ、整理対象の中高年サラリーマンが集められていた。
そこに送り込まれた社員は、早々に会社を辞めることを期待されていたから、「リストラ部屋」とも「追い出し部屋」とも呼ばれていた。ところが、誰もが嫌がるこの部屋に志願した課長が、ソニーの外装設計部にいた。長島紳一という。
2012年のことである。長島は54歳になっており、翌年から実施される管理職の役職定年制度の下で、統括職を解かれる不安を抱えていた。つまり、部下を持てないヒラ管理職に降格される危機を迎えていたのである。
彼は迷った末にこう考えたのだ。
──リストラ部屋にもメリットはある。各部門がそれぞれ募集する早期退職者に、部門の壁を越えて自由に応募できることだ。
それに早期退職者に応募して辞めれば退職加算金が2倍の3000万円に跳ね上がる。このまま会社にしがみついていても、降格や減給、転出、解雇、叱責、白眼視と、おびただしい不安に脅かされ続けるだけではないか。
──よし、ここを出て好きなことを始めよう。
「リストラ部屋」行きは、カードゲームでババを引いたようなものだ。だが、辞める覚悟を固めたとたんに、そのジョーカーは切り札にもなり得る。
そして、長島はリストラ部屋で44日を過ごし、会社を飛び出した。彼は海外企業のコンサルタントなどを経て、慶應義塾大学理工学部の研究員を務めている。
「監督の構想から外れた」34歳の木村拓也
木村拓也は、その課長に似た心境だったのではないか。少なくとも2006年当時は──。