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18歳で“プロ契約より銀行員”を選んだバイエルン監督・フリックは、どうやってチームを再建したのか?
text by
ティエリー・マルシャン&アレクシス・メヌーゲThierry Marchand et Alexis Menuge
photograph bySébastien Boué/L’Équipe
posted2020/11/15 17:01
CL決勝のPSG戦、コマンがキミッヒのクロスに頭で合わせてゴールをあげた。これが決勝点となった
2019年にロッベンが引退を決めたとき、リベリーは契約の延長を望んだ。だが、コマンとニャブリ、さらにはレロイ・サネを獲得したことで、クラブは十分な戦力を確保できたと判断し、リベリーとは再契約しなかった。今日、ミュンヘンでは、2人について語るものは誰もいない。
遡ること3年前、フィリップ・ラームからヨシュア・キミッヒへのバトンタッチが、その後に繰り返される入れ替わりの契機となった。キミッヒの出現は、ラームの放っていたオーラを忘れさせた。こうしてバイエルンは、後継者が現れるごとに大黒柱の選手たちを手放していった。恐らくそう遠くない先に、タンギ・ニアンゾがジェローム・ボアテンクにとって代わるだろう。ただ、マヌエル・ノイアーとトーマス・ミュラーの後任はまだ見出されてはいない。
「これほど素晴らしい雰囲気はかつてなかった」
コバチにはなし得なかったボアテンクやミュラーの復活をフリックは成し遂げた。特にドイツ代表で戦力外と見なされたミュラーは完全復活を果たし、欧州5大リーグ最多アシストを記録した。彼がこれほどの存在感を放ったのは、ルイス・ファンハールの厚い信頼を受けた2009~11年以来のことである。ミュラーこそが起爆剤だった。彼の真摯な態度が、ボアテンクをはじめとする選手たちに大きな影響を与えた。ボアテンクは今のチームの雰囲気をこう説明している。
「これほど素晴らしい雰囲気はかつてなかった。シーズンを通して僕らは誘い合ってレストランに食事に行ったし、バーベキューパーティーを開いた選手もいた。選手同士の絆は深まり、それが素晴らしい成果をもたらす要因となった」
クラブを語る際に、しばしば《家族的な》という形容詞が否定的な意味合いで用いられる。バイエルンにはそれが当てはまらない。クラブの首脳も監督も、家族的な絆に結ばれることで結束を強めてきたからである。かつてはベッケンバウアーとヘーネスがマネジメントを担当し、今はルンメニゲとカーンが携わっている。ベンチも同様で、現在のスポーティングダイレクターを務めるハサン・サリハミジッチは、選手として2001年のCL決勝を戦った。フリックも1987年のCL決勝でポルトに敗れたときのメンバーだった。継続することで、クラブの伝統はますます豊かになる。欧州カップで9シーズン以上にわたり決勝進出を逃したことのないクラブは、ヨーロッパ全体を見渡してもバイエルンだけである。