松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
「えっ、えっ?」松岡修造が驚いた “パラ世界4位”秦由加子「ホント、足なくて良かったわ~」の真意とは
posted2020/11/29 11:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
パラトライアスロンとの運命の出会いは義足にコンプレックスのあった秦由加子選手の心の扉をオープンにしてくれた。それにしてももう右足のある状態には戻れないと、どん底に落ち込んだところから、どうやってスポーツを始めるに至ったのだろう?
何かに導かれるようにして、ついにはパラリンピックにまで出場してしまった秦選手の競技人生にはいつだって良き仲間との出会いがあった。そして仲間を大切にする彼女には目の前に来たチャンスや縁に素直に乗っていく直感力もあるようだ。
さらに、秦選手の口から出た意外な言葉に松岡さんは度肝を抜かれることとなった。(全4回の3回目/#1、#2へ)
#2 3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」より続く
得意なことをして自分を好きになる
松岡 スポーツを始める転機はどこにあったんですか?
秦 片足になった自分のことを一生嫌いで終わるのは嫌だ。そういう自分自身をいつか自分で変えなければ何も変わらないと思って、24歳のときに水泳を再開しました。水泳は3歳からやっていたので得意だったんです。自分の得意なことをやれば自信が持てるようになって、自分を好きになるきっかけがつかめるかもしれないと考えました。でも最初は人の視線が気になって、「片足の私をみんなが見ている」と感じ、10分も泳ぐとすぐにプールからあがっていました。
松岡 そこからどういう心境の変化があったんですか?
秦 「千葉ミラクルズ」という障害者の水泳チームに入って、そこで出会った人たちが「障害者ですけど、何か?」というような、もう全然平気な態度だったんですよ。その姿を見て「自分もこうやればいいんだ」って、やっとお手本が見つかった感じでした。それまでは障害者と接する機会がなく、家でも学校でも障害者は自分一人だったから、私も彼らのように生きていけばいいんだと思えるようになりました。
松岡 はじめは水泳でロンドンパラリンピックを目指していたんですよね? でも、はっきり言って水泳って、ライバルが多くてタフな競技ですよ。僕も取材をしていますけど、出場するだけでも大変です。
秦 出られると思ったわけじゃなくて、やるからには1つ目標を作りたいと思ったんですね。水泳をやり始めたら、楽しくて楽しくて仕方なくて。自分が生まれ変わったような感覚があって、毎日泳ぎたいし、もっともっと速くなりたいって思いました。それで、コーチに「マンツーマンでお願いしたい」と言って、仕事に行く前と終わった後、毎日練習をしていました。コーチも筑波大学出身のバリバリのスイマーだったので、ものすごく厳しかったんですよね。今でも思い出すと苦しくなるくらいスパルタでした。