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「えっ、えっ?」松岡修造が驚いた “パラ世界4位”秦由加子「ホント、足なくて良かったわ~」の真意とは 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byNanae Suzuki

posted2020/11/29 11:00

「えっ、えっ?」松岡修造が驚いた “パラ世界4位”秦由加子「ホント、足なくて良かったわ~」の真意とは<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

秦選手の口から出た意外な言葉に松岡さんは度肝を抜かれることとなった

 はい。骨肉腫自体は原因不明の病気で誰が悪いわけでもないんですけど、母から「元気な体に生んであげられなくてごめんね」と言われたこともあって、両親には申し訳ないと思ってきました。でも競技活動をして、パラリンピックにも出させてもらって、今の私を見て両親がちょっとでも安心してくれたら嬉しいなと思って。そうそう、私、最近は「ホント、足なくて良かったわ~」ってよく言うんです。

松岡 えっ、えっ、なんでですか?

 足がなくて良かった、足がない人生もいいもんだなって。本気でそう思えるようになったのはリオパラリンピックのときでした。開会式で両親が観客席にいるのが見えて、二人が手を振ってくれて。その瞬間、私たち家族の間で「こんな素晴らしい経験ができて良かったね」って心が通じ合えたんです。両親は泣きながら抱き合って喜んでくれたそうです。修造さんも足のない人生、経験してみたいと思いませんか?

足のない人生にも可能性がある

松岡 どうだろう……。

 期間限定とかで(笑)。

松岡 僕、すごい打たれ弱いんで……。でも「障害があって良かった」っておっしゃるアスリートの方、いますよね。障害を負ったことで得た親との絆とか、新たな発見とか、いわゆる可能性というものなんでしょうね。

 あと競技を続ける原動力としては、私が辞めてしまったら日本人でパラトライアスロンをやる人がいなくなってしまうというのもありますよね。私のような例があれば、足のない人生にも可能性があると思ってくれる人はいると思うんです。私は過去の自分にそれを伝えたいという気持ちもあって競技をしています。

松岡 由加子さんの思いはずっと繋がっているんですね。素晴らしいと思います。

(構成:高樹ミナ)

#4 パラトライアスロン秦由加子は「なぜ、あえて義足をなくしたのか」松岡修造が聞いた は、12月6日(日)公開予定です。

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#1  義足を脱ぐと血だらけ…“世界4位”秦由加子が松岡修造に教える「過酷すぎる」パラトライアスロンの世界
https://number.bunshun.jp/articles/-/845679

#2 3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」
https://number.bunshun.jp/articles/-/845680

秦由加子(はた・ゆかこ)

1981年4月10日、千葉県生まれ。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされる。07年に10歳まで習っていた水泳を再開。ロンドンパラリンピックへの出場を目指したが叶わず、13年にパラトライアスロンに転向。わずか4年で16年リオパラリンピックの日本代表に選出され、日本選手最高の6位入賞を果たした。現在は世界ランキング4位につけ、東京パラリンピックでのメダルを狙う。クラスはPTS2。キヤノンマーケティングジャパン・マーズフラッグ・稲毛インター所属。

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