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ナゾの“モンゴリアン”がオカダ・カズチカを突き落とす? 怪力怪奇派グレート-O-カーンの実力は 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2020/10/29 11:01

ナゾの“モンゴリアン”がオカダ・カズチカを突き落とす? 怪力怪奇派グレート-O-カーンの実力は<Number Web> photograph by Essei Hara

突如オカダに襲い掛かったグレート-O-カーン。その正体と実力は…

「エリミネーター」が炸裂!

 O-カーンの「エリミネーター」と呼ばれることになったアイアンクローからのスラムは威力抜群だ。定番のモンゴリアン・チョップも「モンゴル人」の特権としてもちろん放つ。

 後頭部の辮髪は歴史的に中国やモンゴルなどの東アジアの象徴的なスタイルだが、プロレスの世界でも辮髪はかねてから存在した。

 1960年代、人間発電所ブルーノ・サンマルチノの時代に、ニューヨークのWWWF(現WWE)にはジートとベーポの大型のタッグチーム、ザ・モンゴルズがいた。彼らがモンゴル人でないことは明白だったが、辮髪がモンゴル人であるということをファンに印象づけた。彼らはWWWFの世界タッグ王者だった。

 メキシコマットには1978年頃、テムヒン・エル・モンゴルという大きいレスラーがいた。筆者は当時メキシコでこの「モンゴル人」を取材しているが、正体は日本の小沢正志であった。その時は辮髪がなかったが、このモンゴル人キャラクターは後にアメリカマットで名を馳せたキラー・カーンである。カーンのアンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガンとの試合は全米で大人気のドル箱カードとなった。

モンゴル皇帝チンギス・カンに近づいた?

 草原で長時間戦う力強いモンゴル相撲はモンゴルを象徴する文化だ。その力強さの印象はプロレスにうってつけだった。

 実際に新日本プロレスのリングに上がった本物のモンゴル人は横綱・朝青龍の兄弟たちだった。二番目の兄はレスリングをしていたドルゴルスレン・スミヤバザルで、総合格闘技スタイルで戦った。三番目の兄はブルー・ウルフ(ドルゴルスレン・セルジブデ)で2001年から2006年まで新日本プロレスに所属していた。

 O-カーンは国籍に言及していない。だが、アルファベットの綴りは「Great-O-Kharn」からRを1つとって「Great-O-Khan」とした。モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・カン=Chinggis Khaan(アルファベットの表記はいろいろある)のイメージに近づいたということなのだろうか。

 その方が「The Empire=ジ・エンパイア」なる新しい帝国を築くプランにもフィットする感じだ。それはジェイ・ホワイトやEVILらのいるバレットクラブでもなく、内藤哲也のロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンでもない。新日本プロレスの中に構築された新たな反体制勢力ということになる。

 もともと、オスプレイはジュニア・ヘビー級のステイタスを上げる発言をして来た。ドーム大会を2日やるなら、もう1日のメインはジュニア・ヘビーでと主張したこともあった。だが、それが、興行的には受け入れられないことに気づくと、この新型コロナウィルスによる休止期間に自らの体をアップグレイドしてヘビー級の体に仕上げて来た。

「これならいつでもメインイベントが取れるぞ」という新日本プロレスへのアピールだ。そこでオスプレイはO-カーンに急接近して、政治的な攪乱を図ったとみるのが正しいのだろう。

【次ページ】 「オレの前に伏せろ。楽しみだな、オカダ」

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