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「埼スタには行くけれど…」南北線の“ナゾのサッカー駅”「浦和美園駅」には何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byMasashi Soiri

posted2020/10/04 11:01

「埼スタには行くけれど…」南北線の“ナゾのサッカー駅”「浦和美園駅」には何がある?<Number Web> photograph by Masashi Soiri

南北線の“ナゾのサッカー駅”浦和美園駅には何がある? 平日昼間に訪れてみた

 結論を言えば、美園という地名・駅名は1956~1962年のわずか6年だけ存在していた美園村に由来する。明治時代に成立した戸塚村・大門村・野田村が合併して発足した村で、昭和期のニュータウンによく見られた元祖キラキラ地名とも言える“瑞祥地名”として美園村と名付けられたという(希望が丘とかそういう類のひとつといっていい)。美園村は浦和市と川口市に分割されて消えてしまうのだが、浦和市に編入された現在の浦和美園駅一帯は“美園地区”と呼ばれており、これが浦和美園駅の名の由来になったというわけだ。

14年だけの“幻の鉄道”と鉄道空白の地

 かつてこのあたりに何があったのかというと、“田園地帯”である。スタジアムやイオンのある駅東側は綾瀬川沿いの低地で、田んぼが広がっていたようだ。一方の西側は洪積台地で1924~1938年にかけて武州鉄道というローカル線が通っていた。この路線は(のちの)浦和市東部の利便性を高めるために建設されたもので、東北本線蓮田駅から岩槻を経て現在の東川口駅の少し南の神根駅までを結んでいた。さらに東京方面に延伸する予定もあったというが、それは叶わずにわずか14年で姿を消した、いわば幻の鉄道である。以来、“美園”一帯は鉄道空白の地。武州鉄道廃線跡が東北自動車道に生まれ変わったくらいで、特に玄蕃新田と呼ばれた低地側は田園地帯のままであった。

 そんな鉄道空白の地に、突如現れたのが埼玉スタジアム線と埼スタなのだ。埼玉スタジアム線は1972年から計画されたもので1995年に着工、2001年に開業した。正しくは埼玉高速鉄道線で、長らくそう案内されていたが2015年から埼玉スタジアム線と呼ばれている。埼玉スタジアムは2002年のワールドカップの会場として計画・建設されたスタジアムだ。こうして、田園地帯に現れた鉄道が中核となって区画整理事業が進み、現在の浦和美園駅周辺の街が生まれたのである。

 いま、浦和美園は埼玉スタジアム2002やイオンモールの駅であると同時に、2001年以降開発が進んだ新たな住宅地の駅でもある。駅からスタジアム方面に広がる車両基地をまたぐ跨線橋の傍らには従来からの地形を生かした起伏のある公園が広がり、その奥にはぎっしりと真新しい一戸建て住宅。子どもたちが楽しそうに遊んでいた。試合開催日以外も開放されているスタジアムへの専用道も子ども連れの若い母親が歩く。のどかで、そして緑も多い新興住宅地。試合開催日の賑わいを忘れさせる、静かで過ごしやすそうな美しい街であった。

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写真=鼠入昌史

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