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桐生祥秀が信頼する「ピンなし」が
短距離界に起こす0.048秒の革命。
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byAsami Enomoto
posted2020/08/29 18:00
8月23日のセイコーゴールデングランプリで、ピンなしの「メタスプリント」を履く桐生。
「これでほんとに走れるんですか」
「これでほんとに走れるんですか」
厳しい意見を投げかけたのは、他ならぬ桐生だった。
小塚さんが苦い表情で振り返る。
「本来は一発で完成したと言えると格好良いんですけど、市販するまでにはそれから、選手の意見を聞いて30足、40足と改良してます。桐生選手に最初に持っていったときは『まだまだ履けるレベルではないですね』と言われてしまって……少なからずショックを受けました」
桐生は「足の感覚が自分の持ち味」というほど足裏の感覚が鋭い。考えてみれば、一度のケガで競技人生を棒に振るリスクだってあるのだ。陸上で生計を立てているプロだからこそ、ピンなしという見たこともない形状のスパイクに警戒感を示すのは当然のことだった。
「ただ、最初にそういうコメントをいただいて、彼となら最高のものができると思ったのも事実です。非常に鋭い感覚を持っていて、選ぶことに妥協がない。彼が人生を賭けて最高のものを求めているなら、私たちも最高のものを提供したいと。だから昨年、福井のレースで初めてこの靴を履いてもらったとき、不安と期待で、すごく感慨深いものがありました」
昨年8月に福井県営陸上競技場で開催された大会で、桐生は初めてピンなしスパイクを履いて優勝。10秒05という上々の優勝タイムだった。
0.048秒という瞬きほどの大きな数字。
1万mやマラソンなど、シューズの恩恵がタイムの短縮というかたちで見えやすい長距離走とは違い、100mではスパイクの革新性が見えづらい。
だが、国立競技場にも採用されているモンド社製のトラックで実験を重ねた結果、このスパイクは100m換算で記録を0.048秒短縮できることがわかったという。
この瞬きにも満たない数字をたかがと考えるのか、されどと思うのか。2人の研究者はどう捉えているのだろう。
「たとえば10秒フラットの自己ベストを持っている選手が0.048秒を縮めることができれば、それは選手のすごい自信になると思うんですね」(高島)
「私もこの数字はすごく大きいと思っていて、オリンピックでいえばこの差で人生を賭けたメダルに手が届くかもしれない。たとえ中高生でも11秒台の選手が10秒台で走れるようになれば走るのが楽しくなるだろうし、そうなることが私たちの喜びでもあります」(小塚)