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桐生祥秀が信頼する「ピンなし」が
短距離界に起こす0.048秒の革命。
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byAsami Enomoto
posted2020/08/29 18:00
8月23日のセイコーゴールデングランプリで、ピンなしの「メタスプリント」を履く桐生。
ピンをなくして、新たな信頼を。
「ピンを刺すという言い方をしますけど、いったん刺さると抜くのにも力を要します。抜くのは速くはしることにはマイナスの動作なので、そこでタイムをロスしてしまう。だったらいっそピンをなくしてしまえば良いんじゃないかと思って。ピンがなければ不安や不満は解消されるんじゃないかと考えたんです」
アイデアは固まったが、それを具体化するまでには多くの課題があった。ピンをなくして、かつ滑らないようにするにはどうすれば良いのか。レースには晴れの日もあれば雨の日もある。直線は走れても、カーブを走れなければ意味がない……。なにより、スパイクにはピンがあって当然と考える陸上選手の常識を覆してなお、新たな信頼を勝ち取る必要があったのだ。
「まずは素材ですね。従来の樹脂製のポイントだと鉄製のピンと比べて弱いのですぐにダメになってしまう。それをカーボンに変えることで耐久面をクリアしました」
軽くて強いスパイクへの道のり。
もう一つ、このシューズの大きな特徴として、小さな六角形の突起物がフジツボのように張り巡らされており、それがピンの代わりとして採用されているのだが、そこにはこんな狙いがあったと高島さんは話す。
「いろんな形状でシミュレーションを行ったんですけど、この“ハニカム形状”が一番軽くて強いことがわかりました。直線の100mとはいえスタートしてからゴールするまではあらゆる方向に力がかかるので、どんな方向でも確実にグリップ力を発揮するのにハニカムの相性がすごく良かったんです。ただ、突起の数を増やせば増やすだけスパイクが重たくなってしまうので、どこを出してどこを削るかというのは本当に一つひとつ、0.1mm単位で小塚と相談しながらやってきました。横から見れば、靴底の薄いカーボンにも微妙に厚さの違いがあることに気づいてもらえると思います」
名前の挙がった小塚祐也さんはスポーツ工学研究所の同じ開発チームに籍を置く同僚だ。高島さんが主にシューズの構造設計を担い、小塚さんが耐久性など性能評価を担当している。2人はコンピュータシミュレーションを駆使して精度を高めてきた。
開発から3年が経った2018年、ようやく2人が納得するレベルのコンセプトシューズができあがったのだが、その試作品を選手の元に届けると、思わぬ評価が待ち受けていた。