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アテネ体操金・米田監督の徳洲会改革。
「普通のルートは崩壊しつつあるから」
posted2020/08/21 10:35
text by
宝田将志Shoji Takarada
photograph by
AFLO
徳洲会体操クラブには今季から、こんな一文が記された幕が掲示されるようになった。
<「チームの勝利を目指し、それぞれが取り組んだ結果、個人の成績がアップする」のが正しい考え方だ>
プロ野球の名将・野村克也氏の著書『野村メモ』の一節である。
全体から個へ――。そんな流れで強化を図ろうとするクラブに今、若い才能が集まりつつある。強豪・清風高で主将を務めた石澤大翔(19)、世界ジュニア選手権個人総合覇者の岡慎之助(16)が昨年、相次いで加入。
そして来季は18年ユース五輪5冠の北園丈琉(17)が清風高から加わる。これまで日本にほとんどいなかった高校、大学年代の実業団選手の誕生だ。
監督の米田功はチームの変革に大きく踏み出している。
白井健三に断られたのがきっかけ。
米田功が変革を加速させたのは、リオ五輪に代表選手を輩出できなかった2016年、そして、勧誘していた日体大4年の白井健三から断りの返事をもらった2018年末だ。
米田は、この2016年リオデジャネイロ五輪団体総合金メダリストの真摯な練習態度を高く評価していた。しかし思いは通じず、結局、白井はそのまま大学を拠点とし、大学院に進むことになった。勧誘の過程で、日体大の畠田好章監督に指摘された言葉が鉛を飲み込んだように残っていた。
「『徳洲会の選手が試合で出してしまうミスに、練習で気付けないか?』と言われたんですよ。確かに結果が出てないよな、と。それまで指導で選手に切り込んでいるつもりだったけど、必死で100%切り込めているか? 切り込めてないよなって思ったんです」
米田が徳洲会の3代目監督に就任したのは遡ること7年前、2013年1月だ。以来、所属選手たちの世界レベルでの戦績はと言えば、亀山耕平が3度世界選手権に出場し、'13年に種目別あん馬で金メダルを獲得したほかは、'15年世界選手権で長谷川智将が代表に選出されたくらい(故障で出場はできなかった)。
前述のようにリオ五輪には代表選手を出せなかった。決して誇れる結果とは言えない。
米田自身の実績を考えれば尚更だ。'04年アテネ五輪、日本男子は28年ぶりに団体世界一に輝いた。6人のメンバーをキャプテンとしてまとめたのが、徳洲会に所属していた米田だった。この五輪で彼は種目別鉄棒の銅メダルも獲得している。
右肩や左薬指の手術を重ね'08年北京五輪も狙ったものの、代表選考会で敗退して引退。その後はチームを離れ、メンタルトレーニングやカウンセリングを専門とする会社に入社し、講師として活動した。