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アテネ体操金・米田監督の徳洲会改革。
「普通のルートは崩壊しつつあるから」
text by
宝田将志Shoji Takarada
photograph byAFLO
posted2020/08/21 10:35
昨年の世界ジュニア体操男子代表決定戦で、岡慎之助(右)と談笑する米田功監督。
漂っていたぬるま湯の空気。
監督として古巣に戻ったのは、4年余り外の空気を吸った後のこと。35歳だった。再び神奈川県鎌倉市の体育館に戻った時、米田の目にはチームがぬるま湯に浸かってしまっているように映った。
午前中のトレーニングでは「節電」と言って体育館の電気を半分しか付けず、午後の練習も5時半に終わると、選手たちは早々に引き上げ、体育館はすぐ真っ暗になった。'03年から全日本選手権の団体を5連覇した常勝軍団の面影はすでになかった。
かつては米田を中心に、水鳥寿思や中瀬卓也といった日本代表クラスの選手たちが自発的に居残り練習をするなどして体操を追求していた。大人の選手たちによる自由で自律的な練習。当時はそれが最適な形だった。
だが、それは人が少しずつ入れ替わる中で形骸化し、その“負の遺産”に、監督として向き合うことになったのだった。
2軍制を導入して競争意識を高める。
米田は'15年から、マサチューセッツ州立大学大学院のMBA(経営学修士)コースをオンラインで学んでいる。
「僕は体操でしか結果を出していない。マネジメントの部分をどう補うかといったら、学ぶしかないですよね」
数百万円の学費は自費。課題図書を読み、グループディスカッションやレポート提出などがある。もちろん全て英語で、だ。
しかし、白井を勧誘できなかった時期を境に、これを一時的に休み、チーム強化により注力することを決めた。
「僕は徳洲会で成長させてもらった。監督にも就かせてもらって恩もある。この状況を、言わば放置してしまっている自分に怒りが出てきた」
まず'18年からチームに2軍制を導入し、翌'19年に改良。毎月、試技会を実施して、その結果で1、2軍を入れ替えることとした。1軍の定員は約10人。余った選手が2軍だ。2軍の選手は車での通勤を禁止。ロッカーも用具を入れている倉庫に変わり、クラブの子供教室の指導にも入ることになる。
待遇に差を付けることで競争意識を取り入れることを狙っている。
ただ厳しくするだけではない。昨年5月には管理栄養士と契約。体育館内にキッチンを新設し、栄養バランスを計算した食事を提供できるようにした。
「『結果が出ていないから、せめて赤字を減らしたい』みたいな、しょうもない考え方になるのは違う。徳洲会グループはすごく応援してくれている。求められているのは競技の結果なんです」