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エース小林樹斗の登板はなぜ6回?
智弁和歌山・中谷仁監督の育成哲学。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/08/17 18:00
元プロという肩書が注目されがちな智弁和歌山の中谷仁監督だが、その育成哲学には見るべきものがある。
中谷監督の同級生、高塚信幸の故障。
「エース1人に背負わせて、1人を成長させるのも立派なことだと思うんですけど、3年生はエースだけでなく、みんな一生懸命練習をやって来た。今年から設定された球数制限の意味とかこれまでの流れを考えると、1人のエースが大会全てを投げ切る時代ではないのかな、と。高野連が通達したルール改正の意味を汲み取らなければと考えています」
智弁和歌山は猛烈な打撃で過去3度の優勝を収めてきたが、投手に関してはエースの故障すら美談とされるケースがあった。有名な選手の1人に、中谷監督と同学年の高塚信幸投手がいる。
1996年のセンバツで準優勝したときの2年生エース・高塚信幸は、準決勝までの4試合をすべて完投する獅子奮迅の活躍を見せた。しかし高塚はこの大会の後に肩を痛め、翌夏は登板することすらできなかった。
中谷監督が元チームメイトへの想いを直接話していたわけではないが、中谷の言葉には故障リスクの回避と、エースだけを成長させればいいわけではないというビジョンを感じる。
昨夏もエースの完投は一度もなかった。
それは今大会だけでなく、昨夏も同じような采配を振るっていることからもわかる。1、2、3回戦で、当時のエース・池田陽佑は一度も完投していない。
なかでも3回戦の星稜戦は、延長14回にもつれ込む大熱戦だった。星稜のエース奥川恭伸(ヤクルト)は14回を1人で投げ切ったが、3番手でマウンドに上がった池田の投球回数は8回3分の1だった。
試合は星稜が勝利したものの、奥川はこの試合後に右肘の違和感を周囲に話している。また直接の因果関係はともかく、プロ入り後のメディカルチェックで右肘の異常が発覚したのは有名な話だろう。
中谷監督のビジョンには、そうした健康面への配慮がある。