ツバメの観察日記BACK NUMBER
独学サブマリン・山中浩史を変えた
ヤクルト高津臣吾監督「4つの指令」。
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byKYODO
posted2020/08/09 09:00
8月2日、最速123キロのストレートのアンダースロー右腕は中日打線を8回無失点に抑えた。
高津の指導を受けて才能が開花。
必由館高校から九州東海大を経て、Honda熊本で野球を続けた。アマチュア時代はもちろん、ソフトバンク入団後も、アンダースローの指導を受けたことはなかった。
すべてが独学だった。きちんとした指導を受ければもっともっと才能が開花するのではないか? だからこそ、当時編成だった宮本賢治は「うちには高津がいる」と考えたのだった。
2014年シーズン途中の移籍だったため、本格的に高津の指導を受けたのはその年の秋季キャンプからだった。このとき、高津からはいろいろなことを教わった。
「あと3キロ遅いカーブをマスターしろ」
それが、「身体を起こせ」ということと、「手首を立てろ」というアドバイスだった。
それまでの山中には「身体が三塁側に寝てしまう」という悪癖があった。これはすぐに修正できた。続いて取り組んだのが「手首を立てる」ことだった。
「時計の針で言えば、右腕が3時の位置にあるときに、それまでは6時のところでリリースしていたものを、手首を立てて12時の位置でリリースするというイメージです。ここを意識し始めたら、変化球のキレが増したのが自分でもよくわかりました。
それまでは、地面に指を擦ることも多かったんです。でも、12時の位置から地面に叩きつけるようなイメージでボールをリリースすると、ボールに力が伝わりやすくなり、低めに制球されるようになりました」
高津の注文はさらに続く。次に命じられたのは「あと3キロ遅いカーブをマスターしろ」というものだった。
現役時代の高津は、当時の野村克也監督に「100キロ台のシンカーをマスターしろ」と命じられ、苦労の末に習得して飛躍のきっかけをつかんだ。まさに同じことが、高津と山中の間でも行われていたのである。