ツバメの観察日記BACK NUMBER
独学サブマリン・山中浩史を変えた
ヤクルト高津臣吾監督「4つの指令」。
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byKYODO
posted2020/08/09 09:00
8月2日、最速123キロのストレートのアンダースロー右腕は中日打線を8回無失点に抑えた。
「うちには高津がいる」という理由でトレードに。
「2年目のオールスター休みのときに、全然、知らない番号から電話がかかってきました。こちらからかけ直してみると、それはソフトバンクの編成の人で、“トレード、決まったから”って(笑)。
“明後日には行ってくれ”っていう本当に急な連絡でした。何も事情説明は受けなかったですけど、“お前にとってはプラスの話だから”とは言われました」
このトレードの背後に、当時ヤクルトの編成部にいた宮本賢治の存在があったということは後に知った。
宮本もまたアンダースロー投手として活躍した投手だった。編成担当の宮本は、早くから山中に目をつけていた。そこにあったのは、「うちには高津がいる」という考えだったという。
こうして山中は高津臣吾と出会った。
アンダースローに変えたのは高校2年時。
高津は'04年からメジャーに挑戦し、'06年からは古巣のヤクルトに復帰。その後は韓国、台湾、さらに'11年からは新潟アルビレックスBCに在籍。
さまざまな環境で野球に取り組んだ高津は、このときヤクルトの一軍投手コーチを務めていた。サイドスローから投じられるシンカーの名手との出会いは、山中を大きく飛躍させることとなった。
サイドスローだった山中が、アンダースローに変えたのは高校2年時だった。
「たまたまアンダースローで投げたら、試合で抑えることができた」と山中は振り返る。
しかし、アンダースローを教えることのできる指導者は周囲にはいなかった。
「僕はずっと独学でしたよ。参考にしたのはロッテで活躍された渡辺俊介さんの本を読んだり、YouTubeを見たりするぐらい。すべて見よう見まねで投げていました」