オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(15)>
ロンドン五輪 柔道・福見友子
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byAFLO
posted2020/08/16 11:30
女子48kg級準決勝で敗れ、しばし宙を見つめる福見友子(上)。
今、代表コーチになった意味。
真紅と淡黄が鮮やかな畳の上に27歳の自分がいた。どこか初めて見る光景のようにも思えた。1回戦から全ての試合を見た。ドミトルに大外刈りを返される瞬間も、チェルノビツキに足を刈られるシーンも、目を逸らさずに見た。そして気づけば、自分を許すことができていた。
《意外と頑張っていたんだなと思えたんです。頭が真っ白で、投げられたシーンくらいしか覚えていなかったので、ダメな自分だと思い込んでいたんですけど、イメージしていたよりも練習してきたことを全力で出していた。冷静に見れば技術的に足りなかったんです。そりゃあ負けるよなと、それがわかって納得できたんです》
あの日、福見友子はきちんと敗けていた。
それは「一生悔いが残る」と発言した柔道家にとって、7年越しの決着だった。
東京オリンピックを待つ今、福見は自分が代表コーチになった意味と向き合う。
《私はあの経験を伝えるために、ここにいると思っています。それをどう解釈するかは選手それぞれですが、私が負けた経験は全て隠さずに伝えていきたいです》
オリンピックは勝者とは何かを冷徹に映し出す。一方で、強者とは何かを問いかけもする。もし、それが自分との戦いにおいて決するものだとすれば……、そういう意味においては、福見は紛れもなく強者だ。
あの頃も、今も。
福見友子(柔道)
1985年6月26日、茨城県生まれ。'02年土浦日大高2年時に田村亮子を破る。'07年筑波大4年時にも再び勝利。'13年4月引退、イギリス等への留学を経て'15年10月からJR東日本女子柔道部ヘッドコーチに就任。現在、息子の育児に奮闘中。