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井上康生は無敵のヒーローだった。
2003年、世界選手権の「背中」。

posted2020/06/23 17:00

 
井上康生は無敵のヒーローだった。2003年、世界選手権の「背中」。<Number Web> photograph by Shinichiro Tanaka

オリンピックで1度、世界選手権で3度の金メダルを獲得した井上康生は、まさに最強の名にふさわしい柔道家だった。

text by

田中慎一郎

田中慎一郎Shinichiro Tanaka

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Shinichiro Tanaka

 2000年シドニーオリンピック、柔道100kg級で金メダルを獲得した井上康生は文句なくカッコ良かった。

 決勝で得意の内股を放ち勝利を決めた瞬間、両手を天に突き上げ雄叫びをあげた場面は、日本柔道界の名シーンの1つだ。

 加えて、その後の表彰式で前年に急逝されたお母様の遺影を頭上に高く掲げたこととともに、多くの人の記憶に刻まれた日本スポーツ界の名シーンでもある。

「金メダル以外はメダルではない」

 そう公言してはばからない日本のオリンピック競技はいくつあるだろうか。その言葉に込められた重みを考えれば、柔道は間違いなくその筆頭に近い競技である。

 1984年のロサンゼルスオリンピック、無差別級で山下泰裕が足を引きずりながらラシュワンを下して涙した金メダルと、1988年ソウルオリンピック95kg超級での斉藤仁の金メダルは、多感な年頃の私の胸に「植え付けられた」。世界の檜舞台で当然のように金メダルを獲得し、それでいて礼節を尽くす彼らの姿は、日本の柔道家が世界で一番強いことを雄弁に語っており、同じ日本人であることを誇りに思った。

テレビ越しに彼らを見つめていた頃。

 シドニーオリンピックが開催された2000年、私は脱サラしたての31歳だった。

 スポーツカメラマンになるべく写真の専門学校に通いながら、そんな日本柔道家たちの姿を、文字通り指をくわえてテレビ越しに見つめていた。

「カッコ良い日本の柔道家を、カッコよく撮りたい」

 その想いは翌年に写真学校を中退し、フリーランスのカメラマンとしての一歩を踏み出してからもずっと心の中にあった。

【次ページ】 当日チケットで入ったアリーナ席。

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