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カズにデル・ピエロ、叫ぶ青嶋アナ。
セリエAダイジェスト伝説と遊び心。

posted2020/07/20 07:00

 
カズにデル・ピエロ、叫ぶ青嶋アナ。セリエAダイジェスト伝説と遊び心。<Number Web> photograph by Atsushi Iio

取材に応じてくれた青嶋アナ(左)と当時プロデューサーの村社淳氏。彼らの情熱が伝説のサッカー番組「セリエAダイジェスト」を生み出した。

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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 イタリアの歴史的建造物やバチカン宮殿の天井のヴィジュアルイメージとともに、勝利の讃歌として知られるオペラ「アイーダ」の「凱旋行進曲」が流れ、ひとしきり盛り上がったあとに聞こえてくる、人気DJによる番組名のコール――。

「世界最強リーグ、セリエ・アー・ダイジェスト!」

 すると今度は、けたたましいドラム音とアップテンポなサクソフォーン――ダルファーの「ミッキー・マウス」――がスタジオに鳴り響く。

 サッカー番組なのに、サッカーのプレー映像が一切流れない。そんなオープニングが、未知なるものと出会う期待感を膨らませた。

 1993年5月にJリーグが誕生して1年半、日本代表はまだW杯に出たことすらなく、各局がJリーグの関連番組の制作にやっきになっているときに、海の向こうのプロサッカーリーグのハイライト番組を民放が放送する――。

 '94年10月にフジテレビで始まった『セリエAダイジェスト』はなんとも野心的で、冒険的なチャレンジだった。

カズだけでなく、イタリアの文化を。

「きっかけは、もちろんカズ(三浦知良)です。ドーハの悲劇でW杯出場を逃したあと、カズが'94年夏にイタリアに渡った。カズは日本のサッカー人気をひとりで背負っていたから、ジェノアの試合は間違いなくキラーコンテンツになる。すぐにイタリアに飛んで、放映権の獲得交渉をしたんです。『カズの試合だけでなく、カルチョを、イタリアの文化を紹介したい』と伝えたんだけど、それが正直な気持ちだった」

 そう語るのは、番組の生みの親である村社淳(むらこそ・きよし)だ。'83年にフジテレビに入社し、'85年にスポーツ局に移ってからは、日本代表戦やJリーグの中継、『Jリーグスーパープレー大賞』など、フジテレビのサッカー番組制作の先頭に立ってきた名プロデューサーである。

「もともと僕はサッカーファンでしてね。その頃、セリエAは(ディエゴ・)マラドーナや(ローター・)マテウスが去り、ミランのオランダトリオもバラバラになっていたけれど、依然として世界最強リーグだった。交渉が成功して放映権が獲れたから、試合中継だけでなく、セリエAの番組も作りたいと思ったんです」

【次ページ】 硬派なハイライトじゃ面白くない。

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