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唯一無二のウォウォウォ!!
松崎しげると音楽とライオンズ。
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/06/24 11:50
松崎しげると言えば西武ライオンズ、という印象は強い。
怪我で野球をやめ、音楽に癒される。
日大一高では左の肩と肘を壊して2年生で野球の道には区切りをつけたが、ちょうどその年にビートルズが来日し、松崎は武道館公演を2日間見ることができたという。「野球ができなくなった辛さは大きかった」という傷心を癒してくれたのもまた音楽だったのかもしれない。
そして野球部で鍛えた喉と声は、歌手の道を進む上で生涯の宝物となった。
バンドでの活動を経て1970年にソロ歌手としてデビューした松崎は、1977年8月にリリースした『愛のメモリー』が大ヒット。翌年のセンバツの入場行進曲にも採用された。
テレビ中継のゲストに呼ばれ、バックネット裏から見た開会式。自分の曲に乗せて、大阪・浪商の香川伸行、牛島和彦ら球児たちが行進するのを見て松崎は泣いたという。
「甲子園出場っていうガキの頃の夢が果たされたっていうかね。まさかこんな形でと思ったし、この道に入ってよかったなと。紅白歌合戦に出た時よりもちょっとうれしかったよ。あれはうれしかった」
「元気がよくて声がデカかったから」
その翌年の1979年、巡ってきたのが、本拠地を移転した新生ライオンズの球団歌を歌う役回りだった。
作詞の阿久悠、作曲の小林亜星が意識したのは、新しい時代の到来を告げるような球団歌だったという。そこで2人と仕事をしたことのあった松崎にお鉢が回ってきた。
「こいつが歌えばすげえ盛り上がるだろうってことだったと思う。元気がよくて声がデカかったから目に留まった。
その頃の自分がよく言われていたのが『インナーの人じゃない』と。四畳半で歌うんじゃなくて、外に向かってガンガン歌っているイメージがすごく強かった。ラブソングを歌っていてもインナーじゃなくてアウトドアを感じさせる。空に向かっている。レオのたてがみがなびくようなあの曲に、そこがマッチしたと思うんだよね」
その言葉を聞いて頭に浮かんだのは西武ドーム(現メットライフドーム)の、ドームなのにドームじゃないあの独特の構造である。 “夏は暑くて冬は寒い”と揶揄されることの多い屋内屋外中間型の西武ドームだが、雨風が吹き込む代わりに、歌声は球場を飛び出し、空へと向かう。インナーではない。アウトドアだ。獅子の雄叫びは檻の中で響いても格好がつかない。地平を駈けるべきなのだ。
『地平を駈ける獅子を見た』オリジナルバージョンの2番のサビ直前をよく聴いてみてほしい。「心に響く雄叫びが~」という歌詞だが、松崎は「おたけび」ではなく、「“あ”たけび」と歌っている。歌詞の枠にすら収まりきらない疾走感をドーム内に密閉するのは不可能だ。
松崎は言った。
「あのドームっていうのは個性的で、外気が入ってくるという素晴らしさがある。うーん……好きだねえ」