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唯一無二のウォウォウォ!!
松崎しげると音楽とライオンズ。
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/06/24 11:50
松崎しげると言えば西武ライオンズ、という印象は強い。
金田正一にサインを断られ。
あの時代の多くの子供たちと同じように王貞治、長嶋茂雄こそがヒーローだった。のちにスワローズから移籍してきた金田正一にもあこがれた。後楽園球場の関係者入り口で、選手の出入りを粘り強く待ち構えたこともあった。王にはサインをもらった。長嶋にももらった。金田には断られた。
「金田さんにワッとバットを差し出したら拒否されてさ。後年、有名になってからその話を金田さんにしたら『おう、じゃあ今してやるよ』って。もういらねえよ! って言ったよ(笑)」
両親が洋楽好きだったこともあり、小学生の頃から海外のポップスにも親しんでいた。
「近所にギターとかウクレレとかやっているお兄ちゃん、お姉ちゃんが多くて『おい、しげ坊! 来いよ』って、小さい頃から弾き方を教わったりしてたんだ」
音楽も野球と同じようにいつも身近にあった。
根性論の全盛時代に高校野球生活。
自分も選手として野球に打ち込むようになると、松崎の聖地は甲子園になった。
当時の運動部といえば「血と汗と涙が男の美学」という根性論全盛時代。「声出せ! 声出せ!」。プレー云々以前に声が出ないだけで殴られ、罰走を命じられた。
だからセンターの守備位置から「いくぞ! いくぞ!」と声を出し続けた。グラウンドにいる誰よりも大きな声で、バックネットのその先までだって届くように、声を張り上げた。
練習が終わると、精も根も尽き果てて家に帰る。ただし、他に何もする気がしないほど疲れ果てていても、プレーヤーにビートルズのレコードを置いてそっと針を落とすのがルーティン。耳から全身にメロディーが染み入るその時間が次の日のエネルギーになった。
「毎日それだけは欠かさなかったね。スパルタ練習で疲れた体を唯一癒してくれたのが音楽だった。月に1枚、450円か470円だったかな? 小さいLP盤を買って擦り切れるまで聴く、みたいな生活がずっと続いていたんだ」