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福岡堅樹の決断と消えない記憶。
W杯敗退直後、笑顔の「終わった」。 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2020/06/18 18:00

福岡堅樹の決断と消えない記憶。W杯敗退直後、笑顔の「終わった」。<Number Web> photograph by AFLO

7人制日本代表での五輪出場を断念した福岡堅樹。昨年のW杯で最も印象に残ったと語るスコットランド戦では、3つのトライに絡んだ。

日本ラグビー史に残るトライ。

「合宿の最中、僕はリーチや姫野(和樹)、(アマナキ・レレイ・)マフィといった屈強な選手がいる『鋼グループ』に投入されたんです。相手のFWとボールを取り合うような局面が絶対にあるという想定で。この練習は本当にキツかったんですが、スコットランド戦のように相手の腕や懐からボールをかき出すという練習を、実際にやっていました。それがあのプレーにつながったんです」

 さすがに、ボールを直接自分の手に収めるところまでは想定してはいなかっただろうが、モニターで確認すると、クルクルと宙に浮いたボールを福岡の双眼がしっかりと捉えて離さない。両手でボールを包み、福岡はトライライン目がけて走り出したのである。

「ボールが浮いている間、本当に集中していました。走り出してからは、スタジアムの大型モニターで追ってくる相手との距離を確認していました」

 ほんの数秒のことだが、これほどまでに濃密な時間を福岡は体験していた。

 間違いなく、スコットランド戦での福岡のパフォーマンスは彼のベストというだけでなく、日本のラグビー史上に残る特筆すべきものだった。

2015年W杯前「ラグビーをやめたい」

 このインタビューでは、過去のことも振り返ってもらったが、恵まれたラグビー人生の中で一度だけ、「ラグビーをやめたい」と思ったことがあったという。

「僕のラグビー人生は恵まれていました。スクール時代、自分がやってみたいプレーが、コーチと違っていたりすることがあっても、父が『いいんだよ』と声をかけてくれたことを今でも覚えています。ただ、2015年のW杯の前の宮崎合宿で、本当にラグビーが嫌になりました」

 原因はエディー・ジョーンズだった。

「2013年にジャパンに招集されてから、エディーさんとの関係性は良好でした。『全部言わなくても、君には分かるだろう?』とか、そんな感じで接してくれて。ところが、2015年のW杯イヤーになってから、関係性が変わってしまったんです」

 時には「そんなプレーでは世界には通じません。もう帰ってください」とまで言われた。それが毎日のように続き、精神的にも追い込まれていく。

「僕の成長スピードが、エディーさんのイメージを裏切ってしまったと思うんです。特に、僕と(藤田)慶和の大学生ふたりがターゲットになりました。合宿の最中、ふたりでよく慰め合ってましたね。でも、つらい時期を乗り越えて、W杯の初戦で南アフリカに勝って、僕と慶和がいちばん泣いて、いちばん喜んでるんですよ」

 ただし、2015年のW杯での出場は福岡はスコットランド戦、藤田は最後のアメリカ戦に限られた。エディーの信頼を最後まで獲得できなかったことが福岡のモチベーションを生んだ。

 この悔しさが、2019年への成長につながったのは間違いない。その背景には、医学の道に進む以上、最後のW杯でなんとしても納得のいくプレーをしたいという思いが強かったのだろう。

【次ページ】 「2023年だってプレー出来るでしょう」

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