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エディーが期待したスペシャルな才。
竹中祥27歳、戦力外後の心境を激白。
posted2020/06/21 20:00
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
Nobuhiko Otomo
2019年秋、日本列島は空前のラグビーブームに沸いた。
自国開催のラグビーワールドカップで、日本代表が8強進出。フィーバーの中心にいたのが、指揮官ジェイミー・ジョセフに「フェラーリ」の称号を贈られた松島幸太朗と福岡堅樹の両フィニッシャーだった。松島は初戦のロシア戦でのハットトリックなど全5試合にフル出場して5トライ。福岡は初戦を欠場、続く2戦も後半からの途中出場ながら勝負を決定づけるトライを奪うなど4試合出場で4トライ。2人は日本代表快進撃の象徴だった。
ワールドカップが終わると、2人に触発されたようにアクションを起こす選手が現れた。
布巻峻介は、トップリーグ開幕を前に、スーパーラグビーを戦うサンウルブズに身を投じた。このシーズンを最後に除外されることが決定していたサンウルブズは、トップリーグと開催時期が重なったことで選手集めに苦しんでいた。パナソニックに所属する布巻は、トップリーグ選手の中でいちはやく手を挙げ、スーパーラグビーの戦場を選んだ。トップリーグ開幕後、4試合を終えた2月中旬には、小倉順平が5年間在籍したNTTコミュニケーションズを退団。会社も辞めてサンウルブズに身を投じた。
階段を上っていくゴールデンエイジ。
布巻も小倉も、松島、福岡と同い年だった。布巻は福岡県のラグビースクール「かしいヤングラガーズ」で、福岡が所属していた「玄海ジュニアラグビークラブ」と小学生時代から対戦を重ねた。布巻は東福岡、小倉は桐蔭学園の主将として、高3の全国高校ラグビーでは決勝で死闘を繰り広げ、31-31の引き分けで両校優勝。高校ラグビー史に刻まれる名勝負だった。同じ大会に福岡高のWTBで出場していた福岡も含め、才能の集中したこの学年はゴールデンエイジと呼ばれた。
福岡はトップリーグの2試合を戦い終えると東京五輪を目指す7人制日本代表への合流を表明した(のち、大会の延期に伴い離脱する決断を下した)。松島はシーズン終了後にフランスのプロリーグ・TOP14のクレルモン・オーヴェルニュへ移籍すると発表した。ゴールデンエイジは新しいステージへと、次々に階段を上っていた。
さあ、もうひとり、そろそろ出てきてくれないと困るぞ……そう思っていた名前は、意外な形でメディアに載った。新型コロナウイルス感染拡大を受けてトップリーグが打ち切りとなり、シーズンが強制終了となって間もない4月13日に発表されたNECの退部者リストに、その名があった。
竹中祥。