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マリノスにベルギーから出戻って。
天野純「死ぬまで絶対に忘れない」 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byYokohama F-Marinos

posted2020/06/17 08:00

マリノスにベルギーから出戻って。天野純「死ぬまで絶対に忘れない」<Number Web> photograph by Yokohama F-Marinos

決意も新たにマリノスに戻ってきた天野。「プレーで見せていくしかない。活躍していくしかない」と語る。

強いマリノスに「複雑なところもありました」。

 1部に昇格したい。活躍して自分の実力を証明したい。試合には出ているのに、チームも自分もうまく回っていかない。

 最初にうまくいかないのは彼のサッカー人生においてもそうだった。F・マリノスのジュニアユースでもユースでも、そして順天堂大を卒業してプロになってからも。

 経験則からも、乗り越えていける自信はある。しかし今回はスピード感が伴わなければならなかった。夢の入口がすぐに出口につながってしまわないように。

 海の向こうでは、自分のいなくなったF・マリノスが優勝に向かって勢いをつけていた。勝利の報を喜ぶ一方で、焦りともどかしさが上乗せされていく感覚だった。

「もちろん純粋に応援はしていました、ただ、俺がいなくなってメチャクチャ強くなっていくわけなので、複雑なところもありましたよ。F・マリノスのみんなは気持ち良くサッカーして勝っているのに、俺は勝てないし一体何してんだよって」

 オフの日に気分転換のために欧州を旅行したところで、「考えてしまうのはサッカーのこと」。

 誰かが言ったのを思い起こした。サッカーでの悔しさは、サッカーでしか晴らせない。本当にそうだと思えた。

クラブの資金難に続きコロナ禍で……。

 11月下旬には監督交代によってポジションもサイドからボランチ、トップ下の中央に移った。

 それを機に悩みは次第に萎んでいく。割り切って前に出ていき、前にパスを出していく。後ろという選択肢の割合をグンと減らした。得点シーンに絡み、チームもようやく浮上のきっかけをつかむ。

 シーズン後半、ここから「スピード感を持ったアピール」をしていくことができると思った。

 その矢先――。

 今年1月、クラブの資金難が表面化して、給料の未払いに怒った選手たちによる練習ボイコットも起こった。

 それでも天野はモチベーションを落とさなかったという。新型コロナウイルス感染拡大によって2月を最後にリーグはストップ、そしてクラブの破産宣告……結局サッカーでの悔しさをサッカーで晴らせないまま帰国せざるを得なかった。

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天野純
アンジェ・ポステコグルー
横浜F・マリノス

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