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マリノスにベルギーから出戻って。
天野純「死ぬまで絶対に忘れない」 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph byYokohama F-Marinos

posted2020/06/17 08:00

マリノスにベルギーから出戻って。天野純「死ぬまで絶対に忘れない」<Number Web> photograph by Yokohama F-Marinos

決意も新たにマリノスに戻ってきた天野。「プレーで見せていくしかない。活躍していくしかない」と語る。

欧州に行くには遅すぎるかもしれないが……。

 2019年7月、彼は5年半プレーしたクラブを離れる決断をした。

 背番号10、そして3人制キャプテンの一人。試合前、ロッカールームでの円陣、「行くぞ!」の掛け声に力を込め、チームメイトと優勝に向けて気持ちを一致させてきた自分がその輪を飛び出していくのだから、罪悪感すらあったことは想像に難くない。

「あのときですか? 相当悩んだことは事実です。でも海外でプレーすることは、昔からの夢でした。実力のある人なら、すぐに行けるんでしょうけど、僕の場合は下積みの時間もあってようやく(話が)来て……あきらめたくはなかったんです、自分の夢を」

 28歳になる直前。欧州に行くには遅すぎるかもしれないが、悩みを断ち切ってでも行くしかない。

 最終的に「昔からの夢」が、自分の背中を押し切った。

「相手の動きが遅いと感じた」

 ロケレンは1部から2部に降格し、スタイルも「つなぐ」から「蹴る」に変わっていく過渡期にあった。

 チームに合流しても、最初はパスが回ってこなかったという。

 認められてないなら、認めさせてやればいい。合流2日後に1部中堅チームとの練習試合が組まれ、途中出場した天野はアシストを記録している。

「得点かアシスト、どっちかはしなきゃいけないなって覚悟を持ってやりました。いいプレーができたなって思えたし、そこからチームにも監督にも認められた感じはありました。パスも回ってくるようになりましたね」

 最初の練習試合には2つの目的があった。1つは結果を残して信頼を得ること、もう1つは体づくりの指針を決めること。

「相手と体をぶつけ合ったときに、重さをあまり感じなかった。これくらいなら今までやってきたように体幹を鍛えていけばいいと思いました。

 あとターンとか一瞬のスピードで剥がすところは通用するな、と。やはり(Jリーグと比べて)相手の動きが遅いと感じたところがありましたから」

【次ページ】 「ボールを下げるっていう概念自体があまりない」

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天野純
アンジェ・ポステコグルー
横浜F・マリノス

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