熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
水島武蔵にカズ&ヤス、前園、中澤。
本田圭佑へ連なるブラジル挑戦史。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFP/AFLO
posted2020/06/15 18:00
ボタフォゴで予想以上の大歓迎を受けた本田圭佑。その要因の1つに、三浦知良ら大先輩の歩みがあったことは間違いない。
その経験を日本サッカーに還元。
水島、カズ、橋本はそれぞれ2歳ずつの年齢差があり、いずれも十代でブラジルへ渡った。サンパウロFC、サントス、コリンチャンスといういずれ劣らぬビッグクラブと20歳前にプロ契約をかわしたが、分厚い選手層に行く手を阻まれた。
その際、カズはすぐに地方のクラブへ移籍し、試合経験を積み重ねることで着実に成長し、最後はサントスで花を咲かせた。
これに対して、水島と橋本は名門クラブに在籍することにこだわりすぎた感がある。もしカズのように他クラブで力をつけてから再挑戦していたら、彼らのキャリアはもう少し違ったものになったかもしれない。
また中澤、三浦泰のようにブラジルでプロ契約がかなわず、1、2年で帰国した者もいる。それでもブラジルでの経験を糧として努力を続け、日本代表にたどり着いた。
さらに引退後の水島や橋本、霜田らのように、それぞれの立場で日本の、さらには世界のフットボールの発展に貢献している人物も多い。
数千人がブラジルに夢を求めて。
実は1980年代前半以降、ブラジルへフットボール留学することが日本の若者の間でブームとなった。一時は年間700人を超える日本人がブラジルでプロを目指し、その総数は数千人にも及ぶ。
1863年にイングランドで誕生したフットボールは、その後、世界中に伝わり、世界で最も人気のあるスポーツとなっている。
とりわけこのスポーツに夢中になったのが、ブラジル人だった。
足の様々な部位を使ったキックや数々のフェイントなどを編み出し、キング・ペレをはじめとする幾多のスーパースターを生んで、フットボールの発展に著しく寄与した。ブラジルのフットボールは世界中の人々を魅了してきたが、とりわけその虜となったのが我々日本人だった。
日本人は、ブラジルの選手や指導者を招聘するのみならず、あたかも古代の日本が中国の進んだ文物を取り入れようと遣隋使、遣唐使を送ったように、ブラジルへ大勢の青少年を送り込んだ。
その中から、カズという日本のフットボールの至宝が出現したのである。
その一方で、カズを目指しながらカズになれなかった者でも、現在、日本でプロクラブ、学校、個人経営のクラブなどの指導者、プロクラブの職員や通訳、選手代理人などの立場でフットボールに携わっている者が大勢いる。
これまで日本がブラジルのフットボールから受けた恩恵は計り知れない。そして今、本田圭佑が「これまでの恩返しの意味を込めて」(本人)、ブラジルのフットボールに挑んでいるのだ。