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水島武蔵にカズ&ヤス、前園、中澤。
本田圭佑へ連なるブラジル挑戦史。

posted2020/06/15 18:00

 
水島武蔵にカズ&ヤス、前園、中澤。本田圭佑へ連なるブラジル挑戦史。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

ボタフォゴで予想以上の大歓迎を受けた本田圭佑。その要因の1つに、三浦知良ら大先輩の歩みがあったことは間違いない。

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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 2020シーズンでプロ35年目を迎えた、カズこと三浦知良。ブラジル在住のライター沢田啓明氏に全5回シリーズでブラジル時代のカズについて記してもらった連載最終回は水島武蔵、カズ、そして現代の本田圭佑に連なる日本人フットボーラーのブラジル挑戦史について。

 フットボール王国ブラジルに最初に挑んだ日本人は、水島武蔵である。

 1964年生まれでカズより2歳年上。3歳の頃からボールを蹴り始めた。

 ブラジルのフットボールを愛好する父親に勧められ、1975年、わずか10歳でサンパウロへ渡航。名門サンパウロFCの下部組織に加わる。日系人の家にホームステイしながら、現地の学校に通って言葉や習慣を覚えた。

 攻撃的MFもしくはFWとしてプレーし、テクニックと判断のスピードを磨いた。

 サンパウロFCの年齢別カテゴリーを順調に昇格し、1984年、20歳になる直前にプロ契約を結ぶ。サンパウロへ渡ってから9年半が過ぎていた。ブラジルにおける初の日本人プロ選手の誕生である

 なお1977年に奥寺康彦がFCケルンと、1983年には尾崎加寿夫がビーレフェルトとプロ契約を結んでおり、この2人に次ぐ3人目の日本人プロ選手、と表現してもいいのかもしれない。

 しかし、当時のサンパウロFCにはFWミューレル(1986年から3大会連続でワールドカップに出場し、'94年大会で優勝、MFシーラス(1986年と'90年W杯に出場)らブラジル代表の精鋭がひしめき、公式戦のピッチに立つのは至難の業だった。

 この状況は1986年、19歳になる直前にサントスとプロ契約を結んだが、やはり出場機会がほとんどもらえなかったカズのケースとそっくりだ。

サンパウロに留まることを選んだ。

 ただし当時のカズがサントスに固執せず地方へ出て武者修行したのに対し、水島はサンパウロFCに留まった。

 1986年3月、サンパウロFCに籍を置いたままサンパウロ州内陸部の小クラブ、サンベントへ期限付き移籍。4月19日に行なわれた州選手権の強豪パルメイラスとの試合でデビューした。その後、サンパウロの中堅クラブ、ポルトゲーザを経て短期間、サントスにも所属したが、目立った活躍はしていない。

 1989年、計14年余りに及んだブラジル滞在を終え、日本へ帰国。日立製作所(日本サッカーリーグ)へ入団し、1991年まで19試合に出場して6得点。全日空を経て、1992年、横浜フリューゲルスにも在籍したが、故障のため28歳の若さで引退。Jリーグ開幕の前年だった。

 その水島は1994年、子供にフットボールを教えるFCムサシを設立。藤枝MYFC、日本経済大などで監督を務めた後、2019年からU-17タジキスタン代表のコーチをしているという。

【次ページ】 兄のヤス、霜田監督もブラジルへ。

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