熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
水島武蔵にカズ&ヤス、前園、中澤。
本田圭佑へ連なるブラジル挑戦史。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFP/AFLO
posted2020/06/15 18:00
ボタフォゴで予想以上の大歓迎を受けた本田圭佑。その要因の1つに、三浦知良ら大先輩の歩みがあったことは間違いない。
兄のヤス、霜田監督もブラジルへ。
カズの2歳年上の兄・三浦泰年は攻撃力も備えたボランチ、SBだった。
静岡学園卒業後の1984年、カズと同じくブラジルへ渡り、サントスのU-20に加わったが、プロ契約を結ぶには至らなかった。
1986年に帰国すると読売クラブ、清水エスパルス、アビスパ福岡などで活躍。1993年に日本代表に選ばれ、1994年W杯アジア最終予選に出場した。2003年に引退し、子供たちを指導するかたわら、東京ヴェルディ、チェンマイFC(タイ)などの監督を歴任した。
霜田正浩はカズと同い年だ。高校卒業後の1985年、サントスのU-20に入った。
ただ三浦泰と同様、プロ契約には至らず1988年に帰国。フジタ工業、京都紫光クラブなどでプレーした後、27歳で引退。FC東京、ジェフ千葉などでコーチを務めた後、日本サッカー協会に入って2014年から'16年まで技術委員長を務める。アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチを日本代表の監督に招聘する際に中心的な役割を果たした。
ベルギー1部シント・トロイデンのコーチを経て、2018年からJ2レノファ山口の監督として奮闘。若き才能をJ1に次々と送り込む手腕に注目が集まっている。
カズにとって戦友だった橋本幸一。
橋本幸一は、カズより2歳年下。小柄だがテクニックがあり、的確なタイミングで精度の高いパスを出せるMFだった。
サンパウロ州に住んでいた叔父の世話で、1984年、15歳でキンゼ・デ・ジャウー(以下、キンゼ)の下部組織のテストを受けて合格した。
奇しくもこの年、17歳のカズがキンゼのU-20に加わった。年齢別のカテゴリーこそ異なったが、2人は同じクラブに在籍し、日本人がブラジルでプロ選手を目指すことの難しさを語り合った戦友である。
橋本は、キンゼの下部組織で攻撃の中心として活躍。1987年、18歳のとき州選手権のジュベントス戦でプロデビューした。
1993年末、コリンチャンスと契約を結んだが、ブラジルのビッグクラブの常で、選手層があまりにも厚い。コリンチャンスでは、1994年の日本遠征に帯同し、親善試合に出場しただけだった。
1995年にコリンチャンスを退団し、柏レイソルなどを経て、1999年、ブラジルへ戻る。地方クラブでプレーした後、2001年初め、南部の強豪パラナクラブへ。州選手権などに出場した後、2002年6月、33歳で引退した。
現在は選手の代理人を務め、ブラジル人選手のアジア各国への移籍交渉などに携わる。