熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
水島武蔵にカズ&ヤス、前園、中澤。
本田圭佑へ連なるブラジル挑戦史。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byAFP/AFLO
posted2020/06/15 18:00
ボタフォゴで予想以上の大歓迎を受けた本田圭佑。その要因の1つに、三浦知良ら大先輩の歩みがあったことは間違いない。
前園退団後に加入した菅原智。
以後は時折出場したものの、次第に出場機会が減っていく。この年、サントスで5試合に出場して1得点。1999年1月に移籍期間が満了すると、ブラジル中西部の中堅クラブ、ゴイアスへ期限付き移籍した。
3月3日、コパ・ド・ブラジル1回戦のモトクラブとの第2レグにフル出場し、アシストを記録して勝利に貢献した。古巣サントスとの2試合にも出場するなど、一時は主力として活躍した。しかし、その後、徐々に出場機会が減り、退団して帰国する。
ゴイアスでの成績は、11試合に出場して1得点だった。
前園が退団した直後のサントスでプレーした選手がいる。1995年から'98年までヴェルディ川崎に在籍したボランチの菅原智である。
レオン監督から声をかけられ、1999年初め、サントスに入団。22歳だった。
就労ビザを取得するのに手間取ったが、5月16日、サンパウロ州選手権のモジミリン戦で後半から出場。相手のパスをインターセプトするなど守備で貢献した。
そして、名門コリンチャンスとのダービーマッチに先発したが、マークしたブラジル代表MFリカルジーニョ(2002年W杯優勝メンバー)に翻弄され、チームは1ー5と大敗。
5月30日のグアラニー戦では途中出場したが、以後はベンチを温め続けた。
9月、成績不振でレオンが解任されると出場機会が激減。日本へ帰国した。その後、ヴィッセル神戸、東京ヴェルディでプレーし、2011年に引退。東京ヴェルディの下部組織の指導者を経て、2017年からトップチームの通訳兼コーチを務める。
菅原は「ブラジル人選手の判断の速さ、精神的な逞しさに驚いた。ブラジルでの経験は、自分にとって大きな財産」と語る。
そして2020年、本田圭佑が挑戦。
そして、今年2月初め、本田圭佑がリオの古豪ボタフォゴに入団した。
東京五輪にオーバーエージ枠で出場することを目標に掲げ、そのためのアピールの場として選んだのだ。
3月15日のリオ州選手権の試合でデビューし、PKを決めて幸先の良いスタートを切った。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大のため、その直後、すべての公式戦が中断された。シーズンが再開されるのは6月末か7月以降となりそうだ。
本田はリオの自宅で個人トレーナーと共に毎日フィジカル・トレーニングを積みながら、シーズン再開に備えているという。