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千葉すずが教えてくれた「距離感」。
メディアから逃げる彼女との1対1。
posted2020/06/15 11:50
text by
藤田孝夫Takao Fujita
photograph by
Takao Fujita
「な~んだ。張り切ってたのに」
2月14日。新型コロナウイルスの影響で同月末に予定していたトークイベントのキャンセルを電話で伝えた時、彼女は確かに少しだけ、残念そうな様子をみせた。思えば僕の一存のみで実現するはずだった企画。「あの頃はどうだったの?」なんてプライベートでは聞けない質問も公の場なら聞けるかも、そんな期待もあった。ただ舞台が写真関連の総合展示会という特殊な設定ということで、断られる可能性は大いにあった。何しろ基本的にメディアには出ないと決め込んでいる人である。
しかし彼女は、快諾してくれた。能動的な思いがあったかは定かでない。ただ顔見知りのカメラマンに対しての義理が作用したであろうことは想像できた。そんな経緯もあって、イベントのキャンセルは本当に悔しかったし、申し訳なかった。
もしも会場がダイヤモンド・プリンセス号寄港中の横浜でなかったら、もしも時期がもう少しずれていたら。当時の僕はイベントの中止を“運の悪さ”として片付けていた。今思えば恥ずかしい限りである。あれから4カ月、新型コロナというウイルスは人の日常を変貌させ続けている。とりわけスポーツの世界は、ズタズタにされてしまった。オリンピックの歴史をも、変えてしまった。
「悲劇のヒロイン」というレッテル。
千葉すず。
この名前をご記憶だろうか。1990年代、日本水泳界を牽引したトップスイマーである。世界選手権日本人女性初のメダリストでオリンピアン。自由形のスプリンターとして、間違いなく世界に通用する逸材だった。
ただ2020年の今、一般の人々がすずの名で想起するのは水面を奔る勇姿ではなく、マスコミに囲まれた小さな背中だったかもしれない。2000年シドニー五輪代表選手選考をめぐる一連の騒動は、スポーツの枠をはみ出て社会問題へと膨らんだ。結局日本水泳連盟を相手取った提訴は却下、決して望まなかったであろう“悲劇のヒロイン”というレッテルと共に、すずはメディアからフェイドアウトした。