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青山敏弘と森保一が語る最強の広島。
現在も息づくサンフレッチェの伝統。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/06/13 11:45
2015年、4年で3度目の優勝を飾る。攻守に奮闘した青山はリーグMVPも獲得。
佐藤寿人たちに吐露した胸の内。
歯車の1つ、という発想。
最低限のことを最大限に――。攻から守の切り替えでは、空いたスペースに懸命に戻り、球際の競り合いでは激しくファイトする。当たり前のことを、当たり前以上にやる。
「自分が中心でゲームをつくる。ゲームを動かす」という責任に真正面から向き合うと物足りなさを感じてしまうのかもしれない。今の自分がやれることを客観視しながら、“いつかは来るだろう”の感覚で引っ張ったことが、結果的にはチームをうまく回していくことにつながった。
何故、このような発想を持つことができたのか。
いくつかあるきっかけの1つに、春先のキャンプにおいて前キャプテンの佐藤寿人ら年長者と、水本裕貴ら青山と同世代の数人とで話し合いを持ったことがあった。チームの現状を確認していくなかで、キャプテンを担う青山の思いを聞く場にもなったという。
「自分はあんまり(思っていることを)表に出さないタイプ。そこで初めてというか、思いを吐き出したところはありました。今振り返ってみると、あの場が自分には大きかったような気がします。でも多分、あれは森保さんがやれって動いたんじゃないかなとは思っていますけど。
森保さんは常にチームを把握していましたし、自分たちのことをずっと見てくれている。どうやったらうまくいくかっていうのを考えているし、その思いも伝わってくるんですよね」
「溜めるんじゃなく、吐き出していけ」
先手を打つ必要があったのかもしれない。佐藤キャプテンのもと'12、'13年シーズンを2連覇し、'14年からキャプテンマークは青山に渡った。その年、チームは8位にとどまり、青山自身もブラジルワールドカップ後はケガもあって離脱した時期があった。
青山に対する強い残像が森保にはあった。
「監督になった1年目、練習もかなりきつくやりました。青山はぶっ倒れるまで、歩けなくなるまでやろうとする。その姿は今でも鮮明に覚えています」
自分を追い込み、周りも引き上げていく。だがコンディションが整わないなかで気持ちが入り過ぎてしまってはそれが青山にとってマイナス要因となりかねない。
'14年シーズンからの苦しみを、森保も理解していた。だからこそ青山に敢えて伝えることにした。思いを、みんなで分け合うことを。
「一度話をしたことがあります。溜めるんじゃなく、周りに(思いを)吐き出していけ、と。自分の考えを理解してもらいながら、助けてもらいながらやっていくのがチームなのだ、と」