ラグビーPRESSBACK NUMBER
サンウルブズが終わってしまった……。
公式カメラマンが見た不撓不屈の姿。
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2020/06/10 20:00
サンウルブズ最多のキャップ数43を誇る“バズ”こと浅原拓真。最も叩きのめされた男も、この知らせを寂しがった。
2018年、ジェイミーと交わした握手。
今流行りの言葉で言えば、僕がサンウルブズに初めて濃厚接触したのは、2018年シーズンの開幕2カ月前だ。Numberからサンウルブズの帯同取材をワンシーズンやってみないかと持ちかけられ、特に深く考えることもなくその仕事を受けた。
仕事の内容は簡単だった。
シーズン開幕までは彼らの合宿を取材し、シーズンが始まってからは彼らの遠征にくっついてゆき、何百枚かの写真を撮って何千字かの原稿を書く。
2018年のプレシーズンキャンプは大分県の別府市でスタートした。
合宿初日、コーチ、スタッフ、選手が集まった夜のミーティングで僕は皆の前で自己紹介をし、そこから取材は始まった。
合宿から1カ月後、僕はアウェーのシャークス戦取材のために、南アフリカのダーバンに飛んだ。
今でも覚えている。
ダーバンについた翌朝、朝食のためにホテルのロビーに降りてゆくと、チーム関係者の人に選手たちとともに朝食をとるように勧められた。
長テーブルが幾つも置かれた会場で、むちゃくちゃ緊張しつつなんとか選手たちの間に席を見つけて腰を下ろすと、その30秒後くらいに右隣の席にジェイミー・ジョセフが座り、とんでもなく分厚い手をさしだされ、握手をしながら「オハヨーゴザイマス」と言われた。
なんだかその出来事だけで、ラグビーの虜になったような気がし、そこからは数カ月にわたる、今考えてみれば夢のような帯同取材が続いた。
どんなにいい試合をしても引き裂かれた。
僕がかかわらせてもらった2018年は、サンウルブズにとって少しだけ特別なシーズンだったように思う。
ヘッドコーチにジェイミー・ジョセフが就任し、アタックコーチはトニー・ブラウン、スクラムコーチは長谷川慎、スタッフはほぼジャパンと同じ構成だった。プレーヤーに関しても、1年後のW杯でジャパンの軸になった選手はほぼ全員参加していた。上り調子の選手、ほぼピークの状態にある選手、ジャパンに入る可能性のある外国人選手。それぞれの試合、それぞれの遠征に参加するメンバーは微妙に替わってはいたが、これから1年と少し、どういうラグビーを構築していくのかがかなり明瞭に見え始めていた。
試合、ハードワーク、試合、ミーティング、試合、そしてまたハードワーク。見ている側が酸欠状態になりそうなほど、サンウルブズはラグビーにのめり込んでいたが、でも、チームはなかなか勝てなかった。
全く歯が立たないわけではない時もある。いけそうな予感も何度かは訪れる。しかし、その予感は5分後、10分後、あるいは30分後、ただの願望に過ぎなかったことがわかる。
どんなにいい試合をしていても、どんなに素晴らしい前半を戦っても、ほんの一瞬気を抜いただけで、あるいは何人かの選手が入れ替わっただけで、あっという間にサンウルブズのディフェンスはボロボロに引き裂かれるのだ。まるで猫がじゃれて引き裂くティッシュペーパーのように。
取材するこちらとしては自分の希望もあって(何せ原稿を書かなきゃいけない)、ギリギリのところで勝ち進んでゆく展開、いわばウルトラマン的な展開を望んでいるのだが、毎回そのウルトラマンは3分持たないどころか、1分ぐらいで叩きのめされたりもする。