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ジェイミー・ジョセフと宗像の物語。
友情と共に育まれたラグビーへの愛。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2020/06/14 11:30

ジェイミー・ジョセフと宗像の物語。友情と共に育まれたラグビーへの愛。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

オールブラックスのNo.8としても活躍した現役時代のジェイミー・ジョセフ。1999年パシフィック・リムで日本代表初キャップを獲得。

ジャパンを強くした戦術システム。

 システムの解説。「ポッド=pod」システムを採用する。辞書の最初に「豆のサヤ」とあるが、別の意味の「イルカなどの小群」から名付けられたらしい。NZ発祥。選手を数名ずつ小さく分けてピッチに配しボールを動かす。ジョセフ流は次の通り。

「グラウンドに4つのポッドを配する。真ん中の2つのアタックでは、スクラムは強いが器用でないという選手もこなせるよう簡潔に確実にボールを出し、両側の大外に能力の高い選手を置く」(藤井)。これなら万能型の数が限られても機能する。

 そしてサニックス在籍の最大の冥利は、宗像の土地の人情に抱かれて「日本が本当に好きになった」事実だ。この夏も家族連れで藤井家に「1週間泊まった」。ジョセフその人がラーメンを軸に外食ローテーションを緻密にこしらえる。「帰りの荷物は刺身包丁にポン酢に醤油」。地元漁師に釣り道具探しを頼む一幕も過去にあった。

 藤井監督に聞く。ジョセフ、ジャパンを強くしますか? 「します」。よく研がれた包丁の口調だった。

合言葉は「ゼッタイ、カツ」。

 最後に紫のあざを書きたい。

 ジェイミー・ジョセフは、'99年5月から同年10月のW杯ウェールズ大会まで、故・平尾誠二監督の率いたジャパンに選ばれている。あのころは居住3年の条件を満たせば複数国の代表になれた。

 元リコーのロック、日本体育大学ラグビー部の田沼広之監督は、計8試合、ともに桜のジャージィをまとい出場している。

「ゼッタイ、カツ。これが僕とジェイミーの合言葉でした」

 大物の合流。好漢、田沼は、敬して遠ざけず身上の明朗さで懐に飛び込む。以来、現在に至るまでの友となる。

「年に2、3度は電話をするので、日本語と英語を混ぜながら話すんですけど、離れている感じはしませんでした。知性があり砕けたところもある。完璧な人柄ですね」

 愛称タヌとジェイミーの思い出。

「僕、代表を落とされかけたことがあったんです。タックルができずに。そこで特訓を命じられまして。それがジェイミーへの連日の1対1のタックル。30分から1時間近く、まっすぐ本気でぶつかってくる。僕は骨っぽい体なんで、ジェイミーの膝のあたりが紫色のあざだらけなんですよ。それでも、タヌがいいと思うまでやろうよと、また、すごい形相で向かってくる」

 後年、本人にたずねた。なぜ、あんなにまで手を抜かずに? 

「タヌにタックルができるようになってほしかったから。それだけ」

【次ページ】 弟分の訃報「まだ信じない」。

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