甲子園の風BACK NUMBER
慶大応援指導部OBが見る『エール』。
『紺碧の空』『我ぞ覇者』の誕生秘話。
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph byHirotaka Yokomizo
posted2020/06/09 07:00
神宮球場での慶應義塾大の応援風景。壇上中央が4年生の時の近藤雄介氏。選手と観客を結びつけるものこそ「応援」であり、「応援歌」である。
「慶應の応援指導部に入りたい一心で受験勉強を」
――ライバルにとっても感慨深いシーンだったのですね。
「個人的な話ですが、『紺碧の空』を聴くと、自分の受験生時代を思い出します。
高校で応援指導部だった私は、神宮球場で見た慶早戦の応援が忘れられず、慶應の応援指導部に入りたい一心で受験勉強を頑張っていました。
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『ライバルも見ておこう』と早稲田のオープンキャンパスにも行ったのですが、そこで見た『紺碧の空』がめちゃくちゃかっこよくて、鳥肌が立ったのを鮮明に覚えています。
以来受験勉強中はひたすら紺碧を聴きまくっていたので、この曲を聴くたびにあの頃の景色がよみがえってとても勇気付けられます。
でも早稲田は落ちましたが(笑)」
「慶應の『若き血』も、明治大学の『紫紺の歌』も」
――応援部の皆さんにとって、自校の応援歌とはどのような存在なのでしょうか。
「世代を超えて、1つの歌を心から熱唱できることは、何よりの財産だと思っていますし、それを歌える一員になれたことは、とても幸せなことなのだと常々感じています。
『エール』を見ながらツイッターを眺めると、タイムラインが『紺碧の空』で埋まっていて、改めてそんなことを思いました。
打倒慶應の思いで生まれた『紺碧の空』は、今日にいたるまで、早大生が嬉しいときや悲しいとき、高田馬場のロータリーで飲みつぶれたときなど、ありとあらゆる場面で歌い継がれてきました。この応援歌を歌うと、誰もが学生時代のハツラツとした記憶を思い浮かべるのではないでしょうか。
慶應の『若き血』も、明治大学の『紫紺の歌』も、みんな同じです」