甲子園の風BACK NUMBER
慶大応援指導部OBが見る『エール』。
『紺碧の空』『我ぞ覇者』の誕生秘話。
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph byHirotaka Yokomizo
posted2020/06/09 07:00
神宮球場での慶應義塾大の応援風景。壇上中央が4年生の時の近藤雄介氏。選手と観客を結びつけるものこそ「応援」であり、「応援歌」である。
「『早稲田大学応援部の許可を』と言われたそう」
――『紺碧の空』の誕生から15年後、慶應も古関氏に応援曲の作曲を依頼し、昭和21年に完成した『我ぞ覇者』について。ライバル校と同じ作曲家にお願いした経緯は何かご存知でしょうか。
「戦後の慶應応援指導部は、打倒早稲田を意識し、あえて古関氏本人に新しい応援歌の作曲を依頼しました。
古関氏からは、さすがに『紺碧の空』を作っているので『早稲田大学応援部の許可をとってほしい』と言われたそうですが、すでに許可を取り付けていたそうで、先輩方の本気度が窺えます。
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作っていただいた曲に歌詞をつけていくのですが、4番の歌詞に『よくぞ来たれり 好敵早稲田』『おお打てよ砕け 早稲田を倒せ』という早稲田を意識した歌詞を載せる徹底ぶり。
ライバル校の名前を歌詞に入れることは、当時としては画期的なことでした。こうして、『紺碧の空』の作者による、打倒早稲田の歌『我ぞ覇者』が完成しました」
「これで黙っていないのが早稲田大学応援部」
――“永遠のライバル”ならではのエピソードですね。古関氏は当時すでに大人気のヒットメーカーだったわけですが、やはり「打倒早稲田」を意識しての、あえての依頼だったのですね。
「そうですね。ただ、これで黙っていないのが早稲田大学応援部です。今度は『我ぞ覇者』が出来た翌年、再び対抗すべく、古関氏に新たな応援歌を依頼したのです。
完成した『ひかる青雲』の4番の歌詞には、お返しとばかりに『慶應倒し 意気あげて この喜びを 歌おうよ』とあります。
しかし、露骨に相手を煽るような歌詞がありながらも、爽やかな印象の歌に仕上がっているところが、良きライバルであり続ける早慶の、リスペクトの精神だなと強く印象に残っています。
このエピソードは、私の好きな早慶応援部史のひとつです」